ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年5月11日金曜日
シュメルの大国主とニニギの尊のルーツ
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録28:5頁
『シュメルの大国主とニニギの尊のルーツ』
「シュメルの大国主とニニギの尊のルーツ」
なぜなら、敗者=<ウンマ>=馬=大国(ウマ)で国を譲った主。
勝者=<ニンギルス>である。
いま韓国の発音をみると、日本語の<ラ>行を<ナ>行で発音する。
その<百済>・<新羅>は南九州からの移住者の国だったのだから、
古代日本には<ラ>行を<ナ>行で発音する人たちもいた。
すると<ニンギルス>は<ニンギヌス>=<ニニギ主(ヌシ)>で、
<大国主>の譲った国の受取り主になる。
大学院講義録27で疑問だった
「なぜ?出雲以外に天降った<ニニギの尊>に国を譲ったのか?」への答が、
ここにあったことになる。
それは遥か昔=神代に、
<シュメル>で<ニンギヌス>に譲った記録だったからなのである。
それだけではない。
その次の戦いの碑文の中には
「射た矢はエアンナツムに命中し、彼は倒された」という記事がある。
神武東征記事の一部は崇神天皇の対戦記事と完全に裏返しになっていていること、
「崇神紀」では敵の神武天皇または<五瀬の命>は<武埴安彦>になっていることを、
この講座や私(加治木義博)著『卑弥呼を攻めた神武天皇』などで、
もうよくご存知のはずである。
その<武埴安彦>を大学院講義録27に登場した彦国葺(ぶく)=彦国牽(ぴく)・孝元天皇が矢で射殺した
と書いてある。
しかし「神武紀」では神武天皇は死なない。
腕に受けた矢傷がもとで死んだのは五瀬の命で、彼は神武天皇の兄だから、
死ぬまでは彼が王だった。
オリエント史によく一致する。
そこで射殺されたもう一人の王・<エアンナツム>と、
その名も比較してみよう。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『言語復原史学会:画像』
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