ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年5月25日金曜日
8000年前に実在したオリエントと日本列島の往来
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録29:3頁
『8000年前に実在したオリエントと日本列島の往来』
「8000年前に実在したオリエントと日本列島の往来」
地球上で発見された最古の大集落は、
ヨルダンのイェリコ(ジェリコ)遺跡であり、
それに次ぐのが北イラク(メソポタミヤ)のジャルモ遺跡である。
これらの遺跡は放射性炭素の測定値で、
8000年から6000年前の新石器時代のものだと判ったが、
イェリコ遺跡の家具は、
煉瓦を積んで石膏で塗装してあって現代建築を思わせるし、
町の周囲を大石を積んだ石壁で囲み城塞としても完成している。
この時代に次ぐハッスーナ期には彩文土器が出土するが、
家屋は藁などの<スサ>を入れた土壁である。
日本語の<スサ>が地名の<スサ>から来ている証拠で、
スサノオが「スサの王」である傍証だ。
我が国では1万年前に世界一古い装飾土器が出土する。
人口が殖え天災や侵略が相次ぐと人々は移住を余儀なくされた。
アジアの東西はジェット機で1日ていどの距離で、
モンスーンなどの風に乗れば帆船はペルシャ湾からインドヘ数日で着き、
インドから日本列島まで1と月とはかからない。
事実、日本列島で欧州と酷似した新石器が見つかる。
温暖な西日本にオリエントから1人の移住者も無かったと考えるほうがおかしい。
私たちはすでに3000年前の宝貝産業遺物を豊富にもち、
<殷>とカリエン=カルデアンの史実を復元し終わっているが、
人々の移住も往来も、もっと古くから頻繁で濃厚だったのである。
下図(私(加治木義博)者カラーブックス『日本人のルーツP14・15』から引用)もその1証である。
8000年前に実在したオリエントと日本列島の往来
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『言語復原史学会:画像』
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