ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年5月22日火曜日
根底からくつがえった過去の「渡来人」観
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録28:26頁
『根底からくつがえった過去の「渡来人」観』
「根底からくつがえった過去の「渡来人」観」
こうして細かく考察すると、
至るところに史実が残した文化財が残っていて、
文字で書かれた史料を補うだけでなく、
そんな史料を上回る事実を読み取ることができる。
その実例として私が23年前に調査した
中国宝貝遺物の研究が、その後どう発展したか?、
それはなにを物語るか?。
梅澤稔先生ご提供の最新の資料をご覧戴いて2005年の年頭を飾りたいと思う。
その結論をここに書くと、それ以後の大規模調査により、
沖縄以外の産地の宝貝や淡水産真珠貝の殻も発見されて、
貝文化が殷代以後も姿を変えながら継続し、
むしろ発展し続けたことが記録されている。
その産地からは「商人」たちが、広く中国に拡がって、
新商品を開拓し、養殖し、貨幣産業を脱皮して、
装飾品産業として新しい生命を与えたことも記録している。
こうしたことから、
さらに読みとれるのは、
彼等は必ずしも移動先に定着せずに
広域を旅して集荷し輸送したという事実である。
これは
渡来人を「逃げて来て土着した人たちだ」としてきた
定説が根底から間違っていたことを示す。
彼等は一部は土着して小国を作るが、
一部はその出発点へ戻り、
また商いに出掛ける「隊商」だったのである。
「カリエン人」は
闇雲(やみくも)に未知の土地へ逃げたのではなく、
通商で熟知していた土地へ移住して文化を伝播し、
また次の移住先を建投しては次第に移動して、
次々に国家として大成させて行ったのである。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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