2012年5月20日日曜日

カルデヤ→インド→稲敷→殷の大量の証拠群が復元



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録28:21頁

 『カルデヤ→インド→稲敷→殷の大量の証拠群が復元
 「カルデヤ→インド→稲敷→殷の大量の証拠群が復元

 しかしこの事実は、もう少し再確認しておく必要がある。

 それは、カルデヤ人は国を作る500年も前に、

 そんな進んだ文化をもっていたはずがない、

 偶然だ、間違いだという者が必ず現われるからある。

 本当にカルデヤ人がレイライン文化をもってきたのであろうか?。

 まず殷墟と稲敷との間に2200kmレイラインが実在することは、

 地図で計ってみればすぐ確認できる。

 そのレイラインは以後の日本列島に定着して、

 5世紀に築造配置されたことの確実な

 仁徳天皇陵から

 応神天皇陵、

 景行天皇陵

 伊勢元宮跡までが、

 全く同じ11の倍数単位で測定配置されている。

 その他の古墳はもちろん、

 神社仏閣まで同じ配列になったものが、

 8世紀以後の建造物にまで実在している。

 このレイライン文明日本の古代文明だと主張できるから、

 なにもカルデアと結びつける必要はないのだが、

 前記のように殷と稲敷の結びつきが明瞭で、

 その稲敷と九州との間にイン・イナの地名遺跡が現存して生きている。

 しかもそれはインドとつながってイン・イナという地名のルーツを立証している。

 それと同時に、そのルートを結ぶ、

 カルデヤの名からしか生まれない地名や国名の一族が、

 ミャンマーから我が国まで見事に分布していて、

 その関連を疑う余地がない。

 そのコースは鰹節や宝貝貨幣といった

 特殊な海洋産業遺物によって、

 殷帝国の誕生史を裏書きしている。

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
 『言語復原史学会:画像』

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