ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年5月20日日曜日
東アジアの広域経済も支えたカルデヤ文化人
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録28:19頁
『東アジアの広域経済も支えたカルデヤ文化人』
「東アジアの広域経済も支えたカルデヤ文化人」
その遠い出身地を証明する地名が、
歴史にも現在にもびっしり残っているのである。
彼等が故郷を離れて船出したのはヤマトバルからだったが、
その子孫がミャンマーから台湾→南西諸島→九州から、
近畿や中国東北区にまで拡がった痕跡がはっきり残っている。
今、
朝鮮半島人を英語でコレアンと呼ぶのも、
カルデヤ人の子孫だという証拠なのである。
宝貝を英語で<カウリー>、<コウリー>と呼ぶのもまた、
高麗の貝がいかに世界に有名だったかを記録している。
殷代から使われていたその宝貝貨幣が中国の西域、成都から雲南省にまで
大量に分布出土して私(加治木義博)が鑑定を依頼された。
それを調査して行ってみると、その大半が琉球海域のものだった。
当時の沖縄の宝貝産業がいかに大規模なものだったか!を、
今更ながら実感せずにはいられなかったのである。
漕ぐリョ(高句麗人)が操る船に乗って、
潜んぐり(モンゴル)(蒙古人)が潜った地域は、
バイカル(貝(ばい)狩る)湖にまで達していたという
地名、国名が、
いま壮大な名詞文化財になって、
今も連携の濃密な広大な東アジア地域に
広く現存しているのである。
これはこれまでも繰り返しお話しし、
著書でもお読みいただいたことで、
簡単に済ませておくが、
これがカルデア人の移住から始まったものとすると、
ただ一点、疑問が残る。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『言語復原史学会:画像』
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