2012年5月20日日曜日

東アジアの広域経済も支えたカルデヤ文化人



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録28:19頁

 『東アジアの広域経済も支えたカルデヤ文化人
 「東アジアの広域経済も支えたカルデヤ文化人

 その遠い出身地を証明する地名が、

 歴史にも現在にもびっしり残っているのである。

 彼等が故郷を離れて船出したのはヤマトバルからだったが、

 その子孫がミャンマーから台湾→南西諸島→九州から、

 近畿や中国東北区にまで拡がった痕跡がはっきり残っている。

 今、

 朝鮮半島人を英語でコレアンと呼ぶのも、

 カルデヤ人の子孫だという証拠なのである。

 宝貝を英語で<カウリー>、<コウリー>と呼ぶのもまた、

 高麗の貝がいかに世界に有名だったかを記録している。

 殷代から使われていたその宝貝貨幣が中国の西域、成都から雲南省にまで

 大量に分布出土して私(加治木義博)が鑑定を依頼された。

 それを調査して行ってみると、その大半が琉球海域のものだった。

 当時の沖縄の宝貝産業がいかに大規模なものだったか!を、

 今更ながら実感せずにはいられなかったのである。

 漕ぐリョ(高句麗人)が操る船に乗って、

 潜んぐり(モンゴル)(蒙古人)が潜った地域は、

 バイカル(貝(ばい)狩る)湖にまで達していたという

 地名、国名が、

 いま壮大な名詞文化財になって、

 今も連携の濃密な広大な東アジア地域に

 広く現存しているのである。

 これはこれまでも繰り返しお話しし、

 著書でもお読みいただいたことで、

 簡単に済ませておくが、

 これがカルデア人の移住から始まったものとすると、

 ただ一点、疑問が残る。

 『参考』
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 『言語復原史学会:画像』 
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