ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年5月14日月曜日
シュメル発の日本語群と日の出・日没への関心
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録28:8頁
『シュメル発の日本語群と日の出・日没への関心』
「シュメル発の日本語群と日の出・日没への関心」
この王名の共通だけでなく、
当時の「シュメル語と日本語の共通語」には
次のようなものが確認できる。
宮司=サング、参宮、南九州ではグッサンという。
商売人=シヤプガル、
人=グル(アイヌ語)。
大工=ナガル、刀は片刃(カタナ)、刃=ナ、ナガル=刃人・刃物師だ。
自国民=ウッキン、内君、ウチの大切な人たち。
その長(おさ)が<大君>・<ウッキン>(南九州)。
王=エン、役(エン)の小角(オヅヌ)は修験者たちの王(エン)。
修験という名もシュメルに通じるが、
その額(ひたい)に着ける兜巾(ときん)も、
今もイスラエルの司祭が全く同じものを着けるし、
また耳の前に我が国古代の髪形・(美豆良(ミヅラ))とよく似た特殊な髪を垂れる。
これは彼等がバビロン捕囚時代に身につけたシュメル文化の遺物で
当時のレリーフにも見られる風習。
イスラエル人だけのものではない。
しかしこの<ウルカギナ>王のとき、
<ウンマ>の軍勢が侵入して<テラシュ>神殿などを襲い、
宝石貴金属を奪い放火して焼き払った。
この神殿名も「照す」で、南九州には寺師(てらす)姓もある。
この時以後<ウンマ>は侵略政策をとり続け、
50の都市国家を征服して、
日の出る<エラム>から日の入る<シリヤ>(尻国(ヤ)・後(しり)国)まで
シュメル全土に君臨した。
<エラム>は沖縄発音・<イラブ>=<伊良部>、
南九州発音<エラプ>=<永良部>で、
この地名のルーツを物語るし、
尻の反対語の頭(かしら)によって、
頭に「選ぶ」という
日本語がこのシュメル語から生まれたことも理解できる。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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