2012年5月18日金曜日

謎の36度線レイラインとスメラギの真相



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録28:16頁

 『謎の36度線レイラインとスメラギの真相
 「謎の36度線レイラインとスメラギの真相

 沖縄の人たちは、

 <鹿児島人>を<倭人>と区別して<ヤマトンチュウ>と呼んだのであって、

 それはイコール<薩摩人>ということであった。

 その実体は太陽神<シャマシュ>を崇める都市国家<ヤマトバルの国民>だったのである。

 それは唐代には『日本国』を名乗っていた。

 しかしそれは今から4000年前に実在していた

 シュメル文明を継承した名前だった。

 それは茨城県地域が<日立の国>と呼ばれて、

 殷商帝国からみれば「日の本(もと)つ国」だったのである。

 稲敷と殷の都とを結ぶ北緯36度線の謎のレイラインは、

 シュメル文明を持って来た人たちが計測したものだったのである。

 スメラギという代名詞は、

 殷商帝国が生まれる以前に我が国で生まれた日本語である。

 それは<スメラ+吾(あぎ)君>=<我が君・天皇>=<スメラギ>

 2語の混血だからである。

 同じことは<スサノオの名>でも見られる。

 <スサ+の王・男>=<スサノオ>だ。

 これで<スサノオの幾人>かは、

 今から4000年前の実在者だったことが理解できたと思う。

 ただしそれは向こうでの呼び名=人称代名詞であって、

 我が国の出雲とは無関係である。

 共通点は彼が天国(エデン)を追われて、

 野蛮人の住む下界に降(くだ)って来て、

 <琉球>という「竜」を退治て、

 さらに東の太陽神・<シヤマシュの国>・<薩摩>にまで着いたことである。

 しかしそこに

 出雲の語源ポセイドン人がやって来たのは、

 それから千年以上も後のことなのだ。

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
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