ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年8月31日金曜日
膨大な文化遺産『言語』が蓄えていた史実の凄さ
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録32:14頁
《膨大な文化遺産『言語』が蓄えていた史実の凄さ》
「膨大な文化遺産『言語』が蓄えていた史実の凄さ」
「卑弥呼の都はどこか?」という疑問が本題である
『魏書倭人章』解読は、
こうして順序正しく解明すれば、
我が国の建国が八千年の昔に遡るという、
世界に類のない大文明実在の大事実で立証して、
その歴史を完全に復元できる凄い学問だったことが判る。
それなのに、ヤマタイコクなどとという無知丸出しの空名で呼び、
方角が南だ・いや東だという幼児的な「おかど違い」論争を、
いまだに金科玉条として続けている史学の醜態をみると、
私たちの『言語復原史学』という史実探査体系が、
どんなに高度なもので、ケタはずれに進んだものだったか、
改めてよくお解り戴けたと思う。
古語も現代語も、膨大な文化遺産であることに変わりはない。
総てが得難い文化財であることは言うまでもない。
私たちは僥倖によって史実を発見し続けてきたのではなく、
推進すれば必ず真実の答が得られる原則を、
ただ真剣に活用しているだけなのである。
だから発見できた答は崩れることがない。
それは次々に積み重なり組み合わさって立体化し、
いよいよ堅固になるのである。
その史実の積層の上に聳える大建築、
私たちの遠祖の超古代文明史が、
全世界のどんな古代史よりりも、
さらに古く抜きんでたものだったことを現実に示し始めた上これから
展開してくる詳細な建国史は、
ご期待に一層強くお応えすると信じている。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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