ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年8月26日日曜日
オリザ・ヤワニカと、沢口靖子の証言
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録32:4頁
《オリザ・ヤワニカと、沢口靖子の証言》
「オリザ・ヤワニカと、沢口靖子の証言」
植物の女神イナンナの名から稲のルートが判ったが、
稲は植物の品種の一つだから植物学を無視できない。
それは主食を作る文化で農学最大の対象であり、
人類生活の根底を支える経済活動だから経済学も切り離せない。
名前の比較だけでは史実は復元できない事が判る。
史学の調査に出掛けても、広い視点で観察し、記録し、
問題を提起しなければ収獲は貧弱なものに終る。
説得力のある、
その実例として、
私(加治木義博)が昭和40年代から50年代にかけて、
台湾からタイ・ミャンマーまで
東南アジヤの山地居住者(Hill tribe)調査を重ねた、
その体験を少しお話ししてみよう。
その時、
私(加治木義博)が発見したのが大学院講義録30の4頁に転載した
カラーブックス『日本人のルーツ』26頁の、
日本米・ヤポニカよりさらに見事な丸々とした大粒の水稲だった。
これはその後、専門家によって研究が進められて、
Oryza javanica オリザ・ヤワニカと命名され、
私(加治木義博)はその図版の解説の中に
「日本の初期水稲遺跡は自然の湿地帯を求めて開かれている。
マレー語で水田をサワというが、
まさに沢こそ初期の水田だったのである」と書いている。
ウバイド人はインダスから我が国まで来て、沢に稲を植えた。
俳優の沢口靖子の顔立ちは、
その姓と共に、
古く遠い故郷がウバイドであることを、
今も雄弁に立証しているのである。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『言語復原史学会:画像』
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