2012年8月28日火曜日

稲田姫は田舎娘ではなく母皇は超巨大帝国の皇帝



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録32:7頁

 《稲田姫は田舎娘ではなく母皇は超巨大帝国の皇帝

 「稲田姫は田舎娘ではなく母皇は超巨大帝国の皇帝

                              
 (娘の名)眞髪 シンカミ(月の女神・シン)=觸 フルの御霊(みたま)(大月姫)

   奇(くし) 手シュ。

 地名中1つ残った「可愛」は、

 鹿児島県川内市の可愛山陵は「エノ山陵」と読む。

 南九州語では「ノ」は「ン」だから、

 これは「エン」で、

 スメル語の「王」である。

 これが判ると、

 インダスの4大河の名が日本語と同じ意味をもっていたことも、

 少しも不思議ではなくなる。

 稲田姫が素戔嗚の尊と結婚した時、

 彼女の母は、前記の通り、

 インダス、キシュ、スサ、ウバイド、グデイ、アダドという

 ウバイド主要国を領地にもつ名乗りをもっていた。

 稲田姫は決して出雲の田舎娘などではない。

 八束を最終の都名だとすれば、

 母皇はメソポタミヤから日本までを併せもった

 巨大な帝国の女帝だったことになる。

 こうみてくると我が国で皇族を「宮」と呼ぶのも、

 メソポタミヤの語尾のミヤと同じものだし、

 上皇=太上天皇を「院」と呼んだことで、

 インドやインダスや殷の「イン」が、

 山門院や伊集院などの地名の歴史とともに、

 退位した先帝の領地だったことも判る。

 そればかりか、

 「犬」も、

 南九州語では「イン」と発音するから、

 やはりウバイド人が連れてきた家畜だったことが明瞭に判る。

 こうして視野がインド、西アジヤにまで拡大すると、

 稲田姫とスサノオの尊の結婚は、

 一体?どこの話だったのか?。

 これも放置できない重大な問題になってしまった。

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
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