ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年8月8日水曜日
6世紀に飛鳥寺を建てたのもイラン人だった
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録31:23頁
《6世紀に飛鳥寺を建てたのもイラン人だった》
「6世紀に飛鳥寺を建てたのもイラン人だった」
アンマン出身の僧侶が『古事記』を書いたなんて、
何というバカげた想像をするのかと、
お思いになったかたもいらっしゃると思うが、
スメル地区からインダスまでは、
Ⅹ氏の説のようにアラビヤ海を渡る必要などない。
歩いて行ける。
インドは、もちろん仏教の盛地で、
ムハマッド=マホメットのイスラム教が成立した後も
7世紀一ぱいはオリエント一帯仏教圏だった。
8世紀にアンマン出身の僧侶が我が国にいても不思議ではないのは、
『日本書紀』によれば蘇我馬子と聖徳太子が588年に、
奈良の飛鳥寺=法興寺と大阪の四天王寺を建立したが、
その建築家も関連業者も、全てオリエント人だったからである。
太良未太 ダラ・ミッルダード。
古子 クース(三角定規)、
麻奈 マルナル(大理石)、
昔麻帝弥 シャフマルディ・ミール、
由昧淳 パイマー・ヅウン。
『日本書紀』書かれた名は、
全部イラン人だったことが、
その器具名と姓名の特徴でわかっている。
『日本書紀』はまた
推古天皇20年(612年)百済から来た異人が、
飛鳥の宮(みや)の南庭に「須弥山」を造ったと書いている。
須弥山が<スメル>を意味し、仏教のシンボルだったことは常識である。
当時のイラン人は仏教、マニ教、景教(キリスト教の1派)、
ゾロアスター教の、オリエントの中心勢力だった。
仏教は当時からインドだけの宗教ではなかったのである。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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