2012年8月8日水曜日

6世紀に飛鳥寺を建てたのもイラン人だった



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録31:23頁

 《6世紀に飛鳥寺を建てたのもイラン人だった

 「6世紀に飛鳥寺を建てたのもイラン人だった

 アンマン出身の僧侶が『古事記』を書いたなんて、

 何というバカげた想像をするのかと、

 お思いになったかたもいらっしゃると思うが、

 スメル地区からインダスまでは、

 Ⅹ氏の説のようにアラビヤ海を渡る必要などない。

 歩いて行ける。

 インドは、もちろん仏教の盛地で、

 ムハマッド=マホメットのイスラム教が成立した後も

 7世紀一ぱいはオリエント一帯仏教圏だった。

 8世紀にアンマン出身の僧侶が我が国にいても不思議ではないのは、

 『日本書紀』によれば蘇我馬子と聖徳太子が588年に、

 奈良の飛鳥寺=法興寺と大阪の四天王寺を建立したが、

 その建築家も関連業者も、全てオリエント人だったからである。

 太良未太 ダラ・ミッルダード。

 古子 クース(三角定規)、

 麻奈 マルナル(大理石)、

 昔麻帝弥 シャフマルディ・ミール、

 由昧淳 パイマー・ヅウン。

 『日本書紀』書かれた名は、

 全部イラン人だったことが、

 その器具名と姓名の特徴でわかっている。

 『日本書紀』はまた

 推古天皇20年(612年)百済から来た異人が、

 飛鳥の宮(みや)の南庭に「須弥山」を造ったと書いている。

 須弥山が<スメル>を意味し、仏教のシンボルだったことは常識である。

 当時のイラン人は仏教、マニ教、景教(キリスト教の1派)、

 ゾロアスター教の、オリエントの中心勢力だった。

 仏教は当時からインドだけの宗教ではなかったのである。

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
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