ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年8月7日火曜日
今はじめて疑問なく明確になった「倭人」の真意
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録31:19頁
《今はじめて疑問なく明確になった「倭人」の真意》
「今はじめて疑問なく明確になった「倭人」の真意」
ついでだから
「原っぱ」の語尾にわざわざ
「っぱ」をつけて使っているのは、
何を意味しているのか解明しておこう。
これに類した言葉は
菜っ葉、
木葉(こっぱ)、
小童っぱ、
河童、
酸っぱ、
などと多いが、
目的は「軽くあしらうこと」であって、
一種の軽蔑が込められている。
洒落(しゃれ)言葉に属するから、
お笑いタレントが使う駄洒落の仲間である。
似た言葉や名詞を流用して相手を笑わせようとする駄洒落、
「ニューヨーク(入浴=銭湯)に行ってきた」
「美濃尾張(身の終り)」
「オ奈良」などの古い遺物で、
ご覧のように地名が圧倒的に多い。
これは<ハラッパ>という地名がよく知られていた時代に、
威圧を感じる政治を連想する首都の「原」を、
軽くあしらう駄洒落として生まれたものが、
今では単なる単語として使われているものだということになるし、
さらに深く考えると、
首都を意味する「ハラ」そのものが、
このハラッパ起源だった可能性もある。
何故インドの地名が熟知されていたのか?。
それはこのハラッパ文化の生みの親ウバイドの名が、
より強力な歴史文化財だからだと考えていい。
ウバイドが住みついたインダスは後に仏教が栄えた地域である。
そこにウバイ(優婆畏)、
と呼ばれた女性仏教徒集団があった。
我が国で卑弥呼が君臨した
倭人(ウワイト)とはこの
スメルからインダスへ、
そして我が国へとやって来たウバイドへの当て字だったのである。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『言語復原史学会:画像』
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