ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年8月29日水曜日
イサナキも都市国家時代の名乗りから
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録32:11頁
《イサナキも都市国家時代の名乗りから》
「イサナキも都市国家時代の名乗りから」
本講では先の「倭の五王」関連の部分で、
伊弉諾の尊の語源が、イシス神だとお話しした。
しかし、そのイシス神の発生までは見なかった。
イシス神は、
ギリシャ人王朝だった
アレクサンドリヤのエジプト王家の尊崇を集めたが、
もともとは、
はるか古代のウバイド期に誕生した神で、
それが後にエジプトへ移ったものだったのだ。
だからイザナギ・イザナミの究極のルーツは、
やはりウバイド・スメル帝国にあったのである。
それはスメルの中央部、
ユーフラテス河の支流に囲まれた所にあったイシンが語源である。
イシンは日本語でイシノ、イサナ。
石野、伊佐、伊声耆、砂子(いさご)、伊勢などの語源だ。
スサから素戔嗚の尊が生まれたのと同じく、
イシンから伊耶那岐・伊耶那美の命が生まれたのである。
それはウバイド=倭人帝国が、
多くの都市国家を持つようになった時、
必然的に生まれた王名であり、
スメルの吾君(あぎ)=スメラギの一人で、
それが死後、
ジグラットの上に祭られた「神」でもあったのである。
では『記・紀』が書く
2神の話は、数千年前のものだったのか?。
それはすでに理解している通り、
倭の五王時代の
履中天皇・伊邪木和気の命と皇后の史実に基づくものでもあった。
らイサナキの名は個人名ではなく、
伝世した名乗りだったと解る。
見易く書こう。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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