ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年8月27日月曜日
稲田姫の両親の名乗りは完璧にウバイド王家のもの
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録32:6頁
《稲田姫の両親の名乗りは完璧にウバイド王家のもの》
「稲田姫の両親の名乗りは完璧にウバイド王家のもの」
インダスに語源のある稲田姫の記事は、
『日本書紀』には本文と「一書」が5つあるが、
その中で一番詳しい「一書3」には、次の名詞が書かれている。
(地名) 安芸 可愛 (名乗り) (父)脚摩手摩
(母)稲田宮主簀狭八箇王
(娘)眞髪觸奇稲田姫
(地名) 尾張 吾湯市 熱田 (剣の名) 虵麁正=草薙劒
この母の名をよく見ると、それは明瞭に、次の通りの「名乗り」だと理解できる。
稲田 インダ(ス) 宮主 キシュ 簀狭 スサ 八箇耳 ヤツカキ 八束(郡)王
父に比べて大量の大国名を並べているのは、
母が女帝だったことを記録している。
最後の「八箇耳 ヤツカ・キ」だけが出雲の名なのは、
現住する都が八束で、その耳(ミミ・キ=弥弥=王」だという、
名乗りの様式に正しく合っている。(また八はハティとも読める)。
父の名乗り脚摩はアシマ=葦国。
手摩はシュマ国(ラ)=薩摩語のスメラで、
彼はスメラギだったのである。
安芸と尾張は共に上井で、ウワイ=ウバイ(ド)。
吾湯市はゴドウイチで大隅語でグデイッ。
熱田は阿多・吾田と同じでアダ(ド)と、
ウバイドの8~9カ国が揃っている。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『言語復原史学会:画像』
『My ブログ』
古代メソポタミア
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ
古代史の画像
ネット歴史塾
古代史ブログ講座
ネット歴史塾
ひねもす徒然なるままに
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
『検索』
GoogleWeb検索
Google画像検索
YahooWeb検索
Yahoo画像検索
翻訳と辞書
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿