2012年8月6日月曜日

ウバイドがインダス文明を生んだという説



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録31:17頁

 《ウバイドがインダス文明を生んだという説

 「ウバイドがインダス文明を生んだという説

 この農業文明の生みの親「先住民ウバイド」の歴史を見よう。

 英国のシュメル解説者・S・N・クレーマーは、

 シュメル人はペルシャ湾のバーレーン島からメルッハを経由して

 南メソポタミヤのユリドゥに侵入して、

 ウバイドを滅ぼしたのではないかと想像している。

 ウバイドの支配階級は海へ脱出してアラビヤ海を渡り、

 インドに着いてIndus(インヅス、またはインダス)河流域に定着した。

 そこで隆盛になったのが

 Indus valley Civilization『インダス峡谷文明』だというが、

 B.C.E.3500年頃の脱出から隆盛までに、

 約1000年も経過しているし、

 そこにはその間に Amri(アムリ)文化の栄えた時代が挟まっているので、

 容易に受け入れられず、

 説得力不足で承認されないまま現在に至っている。

 しかし、インヅスはイン「殷」に始まって、

 イナンナからの

 稲・委奴・猪名・印南・伊那・稲敷といった多くの名詞に

 直接、間接に結びついているし、

 アムリは

 「天降り=天孫降臨・天降(あもり)川・アムール河」に直結する。

 またインダス文明は、

 その中心地の名を活用して、

 別名『Harappa(ハラッパ)文化』と呼ばれる。

 「これは日本語の「原っぱ」そのままで、

 この「原っぱ」という語には、特に注意が必要である。

 最もありふれた言葉でありながら、

 少し考えてみると語尾についている

 「っぱ」は、

 何を意味しているのかわからないものを、

 わざわざつけて使っている。

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
 『言語復原史学会:画像』

 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP

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