ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年8月6日月曜日
ウバイドがインダス文明を生んだという説
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録31:17頁
《ウバイドがインダス文明を生んだという説》
「ウバイドがインダス文明を生んだという説」
この農業文明の生みの親「先住民ウバイド」の歴史を見よう。
英国のシュメル解説者・S・N・クレーマーは、
シュメル人はペルシャ湾のバーレーン島からメルッハを経由して
南メソポタミヤのユリドゥに侵入して、
ウバイドを滅ぼしたのではないかと想像している。
ウバイドの支配階級は海へ脱出してアラビヤ海を渡り、
インドに着いてIndus(インヅス、またはインダス)河流域に定着した。
そこで隆盛になったのが
Indus valley Civilization『インダス峡谷文明』だというが、
B.C.E.3500年頃の脱出から隆盛までに、
約1000年も経過しているし、
そこにはその間に Amri(アムリ)文化の栄えた時代が挟まっているので、
容易に受け入れられず、
説得力不足で承認されないまま現在に至っている。
しかし、インヅスはイン「殷」に始まって、
イナンナからの
稲・委奴・猪名・印南・伊那・稲敷といった多くの名詞に
直接、間接に結びついているし、
アムリは
「天降り=天孫降臨・天降(あもり)川・アムール河」に直結する。
またインダス文明は、
その中心地の名を活用して、
別名『Harappa(ハラッパ)文化』と呼ばれる。
「これは日本語の「原っぱ」そのままで、
この「原っぱ」という語には、特に注意が必要である。
最もありふれた言葉でありながら、
少し考えてみると語尾についている
「っぱ」は、
何を意味しているのかわからないものを、
わざわざつけて使っている。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『言語復原史学会:画像』
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』
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