ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年8月30日木曜日
隼人はウバイドへの当て字。世界最古の国名。
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録32:13頁
《隼人はウバイドへの当て字。世界最古の国名。》
「隼人はウバイドへの当て字。世界最古の国名。」
大隅の大も、倭も、オオと読まれてきたが、
これは沖縄・大隅語では「ウ」だから、
その首都だった「隼人」は「ウの隼人」である。
この場合、
ハヤトと読まずに、ハイトと読めば「ウハイト」で、
発音は「ウワイト=倭人」と完全に同じになる。
隼人とは、
本来はウバイドを意味する名詞だったことが、
この完全な復元で完璧に証明され、
卑弥呼の都だと確認させる。
では、何故?それが原型を失ってしまったのか?…
それも考えておこう。
大隅は鹿児島発音「ウズン」。
古語はズとヅの区別がなかったから「ウヅン」で、
当て字は「大津見」。
今ある字津見、内海(うつみ)などの地名や姓はその子孫である。
津見は王を意味するから、
それは「倭王」と同じ意味の人称代名詞だったのである。
この大隅と併立していた
薩摩の開聞(ヒラキッ)・枚聞(ヒラキッ)=日羅王(シラキ)=古新羅=
後の小国日本の領主だった
天智天皇が、
倭の名を忌んで取り去ったため、
倭隼人=ウワイトが隼人だけになってしまい、
ウバイドに結びっく歴史が完全に消え、
発音もわざと「ハヤト」と読むように強制されて、
倭人との関係さえも連想できなくされてしまったのである。
そして後世の無知な連中の行政区画変更によって、
さらに上井(ウワイ)という地名も、
国分(こくぶ)市に編入されてボツネンと取り残されたから、
この世界最古の凄い国名は、
ウバイドから遠く引き離されてしまったのだ。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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