ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年8月6日月曜日
ウバイドと邪馬壹国との深いつながり
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録31:18頁
《ウバイドと邪馬壹国との深いつながり》
「ウバイドと邪馬壹国との深いつながり」
「原」は御存知の高天原のハラで首都を意味している。
これらの名詞群の一致をみると、
どうみてもウバイドと私たちとが、
無関係だとは思えない。
鹿児島県だけに特有の姓「上井」は、
鹿児島では「ウワイドン(上井殿)」と呼ばれるが、
それはそのまま「ウバイド・の(ン)」に他ならない。
それが地名としては唯一、
国分市だけに、ただ1か所あるだけである。
そこは卑弥呼の首都・巴利国だったところであり、
壹與の都・邪馬壹国だった遺跡である。
上井は後世、<アゲイ>と発音が変わり、
「安芸」と当て字が変えられたが、
その移動先の首都は広島と名づけられて
「日(シ)盧(ロ)之(シ)国(マ)=シロ之国=新羅之国」だと教えている。
壹與が新羅の始祖王・赫居世だから、
その国に祭られている
厳島神社の祭神・市木島姫は
イチコ=壹興(こ)=壹與(よ)の当て字の間違いから
生まれた名だということまで解るし、
壹與政権以後の邪馬壹国の移動経路もまた明白にわかる。
こうみると『魏書倭人章』は立派な『続編』をもっていたのである。
地名や神名によって『記・紀』よりも鮮明に、
不明になった史実を、
詳しく伝えてくれる能力を完全にもっている。
しかもそれは、
このように太古の<アムリ文化>や
ハラッパからウバイドまで直結しているのである。
名詞がどんなに貴重な歴史文化財であるか、
改めて痛感せずにはいられない。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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