2012年8月6日月曜日

ウバイドと邪馬壹国との深いつながり



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録31:18頁

 《ウバイドと邪馬壹国との深いつながり

 「ウバイドと邪馬壹国との深いつながり

 「原」は御存知の高天原のハラで首都を意味している。

 これらの名詞群の一致をみると、

 どうみてもウバイドと私たちとが、

 無関係だとは思えない。

 鹿児島県だけに特有の姓「上井」は、

 鹿児島では「ウワイドン(上井殿)」と呼ばれるが、

 それはそのまま「ウバイド・の(ン)」に他ならない。

 それが地名としては唯一、

 国分市だけに、ただ1か所あるだけである。

 そこは卑弥呼の首都・巴利国だったところであり、

 壹與の都・邪馬壹国だった遺跡である。

 上井は後世、<アゲイ>と発音が変わり、

 「安芸」と当て字が変えられたが、

 その移動先の首都は広島と名づけられて

 「日(シ)盧(ロ)之(シ)国(マ)=シロ之国=新羅之国」だと教えている。

 壹與が新羅の始祖王・赫居世だから、

 その国に祭られている

 厳島神社の祭神・市木島姫は

 イチコ=壹興(こ)=壹與(よ)の当て字の間違いから

 生まれた名だということまで解るし、

 壹與政権以後の邪馬壹国の移動経路もまた明白にわかる。

 こうみると『魏書倭人章』は立派な『続編』をもっていたのである。

 地名や神名によって『記・紀』よりも鮮明に、

 不明になった史実を、

 詳しく伝えてくれる能力を完全にもっている。

 しかもそれは、

 このように太古の<アムリ文化>や

 ハラッパからウバイドまで直結しているのである。

 名詞がどんなに貴重な歴史文化財であるか、

 改めて痛感せずにはいられない。

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
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