ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年8月24日金曜日
世界最古・最長の皇統をもつ祖国の真の歴史
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録31:28頁
《世界最古・最長の皇統をもつ祖国の真の歴史》
「世界最古・最長の皇統をもつ祖国の真の歴史」
ウルといっても、これだけの歴史があるから、
沖縄の古名「ウル国(マ)」は、
そのうちのどの時代の人がやってきて命名したのか?。
その答も『日本書紀』の中にある。
ウル第3王朝もB.C.E.1960年頃には
南部メソポタミヤのイシンとラルサの2国が
支配権を争う時代に入り、
B.C.E.1830年には中部バビロニヤに
新たなバビロニヤ王国が生まれ、
法典で名高いハムムラビ王がB.C.E.1792年に即位した。
この即位年の『1792年』が、我が国建国史にとって、
最も重要な記録数字になっている。
それは「神武天皇紀」の始めに特記された
「建国回顧年数」に完全に一致するからである。
「我が 天祖 彦火 瓊瓊杵(ニニギ)尊 天関を開き
(中略) 此の西偏を治む。
(中略) 年を歴る所、多し。
「天祖降跡以逮=天孫降臨以来」于(今までに)
一百七十九萬二千四百七十余歳(1792)。」と明記してある。
この1792年は、
ほぼ正しい神武紀元だとされる西暦からさかのぼると、
ハムムラビ王が即位したB.C.E.1792年に、ぴったりと合うのである。
『日本書紀』は千倍になっているが、
それは翻訳者が記録にある数字の、
単位の知識をもっていなかったためで、
書かれていた数字は非常に正確なものだったことが確認できる。
『日本書紀』はそれらの古記録を焚書してしまったが、
これでその記録と、
沖縄のウル国(マ)が、ハムムラビ王までさかのぽることがわかる。
とすればそこに書かれている瓊瓊杵(ニニギ)尊とは、
ニンギルスへの当て字としか考えられない。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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