2012年9月1日土曜日

繰返した侵略の脅威と緊急避難だった男帝武装国家化



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録32:15頁

 《繰返した侵略の脅威と緊急避難だった男帝武装国家化

 「繰返した侵略の脅威と緊急避難だった男帝武装国家化

 天智天皇の大化改新とは何だったのか?

 慈悲と平和を理想としたウバイド哲学は退けられて、

 その最大の後継者だった仏教と、

 その象徴だった優婆畏(うばい)=女王政権は排除され、

 新羅=神羅=神国(シンラ)として、全てが一新されてしまった。

 かつて位宮と壹與(第2の神功皇后)が邪馬壹国を建国したシーラバッガ革新

 (これが壹與を『三国史記』が新羅始祖王・赫居世(カグイヨ)=鹿児壹與(カグイヨ)だとする

  理由である)を、

 さらに徹底させたものだったのである。

 同じ論争は履中天皇と皇后の間でも起こり、

 その争いが伊弉諾・伊弉冉2尊の争いとして神託化され、

 3つを一括して教義化したものが、

 従来『神話』と誤信されてきたものの正体であり、

 『記・紀』が天皇初め為政者たちの、

 政治哲学と行政の教科書なのだということも、

 これで深くご理解戴けるはずである。

 隼人という名がウバイドから連綿と続いた帝国の首都名として

 使われていたのは当然のことで、

 それは本来、優姿畏人(うばいど)を意味し、

 倭人(ウワイト)とは

 それへの漢魏音と和音を使った倭人が当てた当て字だったのである。

 これらの史実の最大の核心は、

 天智天皇の行為が「革命」ではなかった事実である。

 彼は唐による侵略を最も恐れ、

 それを防ぐには武装以外ないことを熟知していた。

 かつて位宮・垂仁天皇が直面した魏による侵略の危機と

 全く同じ国難に直面して取った、

 やむを得ぬ緊急非難だったのである。

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
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