ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年9月25日火曜日
平和国家の確証=モヘンジョ・ダロ
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録33:11頁
《平和国家の確証=モヘンジョ・ダロ》
「平和国家の確証=モヘンジョ・ダロ」
女性国家の特徴は「平和を理想に、政争を避けた」ことである。
すでに多くの証拠と共に、
ウルの下水道と完全に同じ設備をもつことで、
ウバイド人が移住したことの確かな
インダスの大遺跡・モヘンジョ・ダロは、
近代的と言えるほど非常に発達した都市文化をもっていた。
なのに、1000年続いたと見られるその都市は、
外敵の襲撃に備えた防壁が全くないことが大きな特徴である。
また住民どうしの、トラブルに備えた護身用小刀以外、
武器が全く出土しないし、戦争の痕跡も全然ない。
そこを敵に追い出されたために廃墟なったのなら当然、
多数の戦死者の遺骨が発掘されるはずだが、それもまた全くない。
住民は敵と戦うことなく去ったのである。
モへンジョ・ダロというのは墓地を意味する後世のインド名だが、
それは遺跡の上に堆積した土の上に営(いと)なまれた後世の墓地の名であり、
地名なのであって、
古代のウバイド人の遺跡は、軍隊をもたない平和国家のものだったこと、
移住は大洪水による被害が原因だったことを物語っている。
その故郷のウルは全ての遺物によって「女王国」だったと確認されている。
その伝統は間違いなくインダスでも続き、守られていたのである。
ではその時代はいっだったのか?。
濃いウル文化が見られることで明らかなように、
そこはスメル最盛期のB.C.E.3000年代に畢生して、約1000年続いた。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
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