ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年9月6日木曜日
「周」の記録に残っていたウバイド人
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録32:22頁
《「周」の記録に残っていたウバイド人》
「「周」の記録に残っていたウバイド人」
もう少し考えてみると、
ウバイド時代には、アンが天の王という意味をもっていたから、
なにもテンノウという名を作る必要はない。
インドには天を「テン」と発音する言葉はないから、それ以後である。
では天を「テン」と発音する言葉はどこのものか?といえば
中国のものだと判っている。
そして今みたように、天王に先だって「天子」という名が生れている。
それらが皆、ウバイド・スメル人の子孫が、
ウバイド語をもとに作ったことも検討ずみであるから、
中国を経由して日本列島へ来たこともまちがいない。
するとそれはいっか?。
ここで後漢の王充が撰した『論衡(ろんこう)』に
「倭人が、周の帝に鬯草(ちょうそう)を貢いだ」
という記録が引いてあるのが活きてくる。
(私(加治木義博)著『焼酎入門』昭和57年、カラーブックス・P.98「焼酎文化史」)。
これを私(加治木義博)が言うように「ウバイドが鬯草を貢いだ」と読む人には、
その時期が周時代だったことが明瞭にわかる。
すると、その周とは、殷を倒した次の王朝で、
ウバイドの敵だったことがわかる。
ということは、この「倭人」とは、殷人だった可能性もある、
いずれにしてもウバイド人のことで、
それが貴重な貢ぎ物をしたぞ!と、
周が権勢を誇るために残した記録だったことがわかる。
在来の学者は、こんな真相があるとは想像すらできずに、
この倭人を東南アジヤ人ぐらいに考え、記事そのものがウソだろうとしていた。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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