2012年9月6日木曜日

「周」の記録に残っていたウバイド人



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録32:22頁

 《「周」の記録に残っていたウバイド人
 「「周」の記録に残っていたウバイド人

 もう少し考えてみると、

 ウバイド時代には、アンが天の王という意味をもっていたから、

 なにもテンノウという名を作る必要はない。

 インドには天を「テン」と発音する言葉はないから、それ以後である。

 では天を「テン」と発音する言葉はどこのものか?といえば

 中国のものだと判っている。

 そして今みたように、天王に先だって「天子」という名が生れている。

 それらが皆、ウバイド・スメル人の子孫が、

 ウバイド語をもとに作ったことも検討ずみであるから、

 中国を経由して日本列島へ来たこともまちがいない。

 するとそれはいっか?。

 ここで後漢の王充が撰した『論衡(ろんこう)』

 「倭人が、周の帝に鬯草(ちょうそう)を貢いだ」

 という記録が引いてあるのが活きてくる。

 (私(加治木義博)著『焼酎入門』昭和57年、カラーブックス・P.98「焼酎文化史」)。

 これを私(加治木義博)が言うように「ウバイドが鬯草を貢いだ」と読む人には、

 その時期が周時代だったことが明瞭にわかる。

 すると、その周とは、殷を倒した次の王朝で、

 ウバイドの敵だったことがわかる。

 ということは、この「倭人」とは、殷人だった可能性もある、

 いずれにしてもウバイド人のことで、

 それが貴重な貢ぎ物をしたぞ!と、

 周が権勢を誇るために残した記録だったことがわかる。

 在来の学者は、こんな真相があるとは想像すらできずに、

 この倭人を東南アジヤ人ぐらいに考え、記事そのものがウソだろうとしていた。

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
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