ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年9月27日木曜日
ウバイド→優婆畏人→倭人(ウワイト)は「母系国家」も意味する
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録33:13頁
《ウバイド→優婆畏人→倭人(ウワイト)は「母系国家」も意味する》
「ウバイド→優婆畏人→倭人(ウワイト)は「母系国家」も意味する」
ウバイドと倭人(ウワイト)が、
インダスを経由して続く一系の人々だったことは、
すでに確認できているし、
同系のカルデア人の子孫であるカレン人(カリエン=高麗人)が
今も厳重な母系集団を維持していることも、
その歴史もまたよく御存知である。
いまここまで検討してきたのも、
卑弥呼と壹與が
「なぜ?女王に選ばれたのか?」という命題によるものだった。
その答は倭国が日本に変わるまで女帝国家だったことであり、
その後も孝謙天皇に至るまでの天智天皇の血を受けた持統天皇系の歴代もまた、
女帝主流だったことが、この答を補強している。
それは優婆畏が証明したように、
ウバイドそのものが母系国家だったためであり、
卑弥呼が最高位の支配者・天照大神として特記されていることでも明らかなように、
「倭人=優婆畏人=大母王土(ウバイド)」とは母系国という名だったからである。
ウバイドでは主婦が内治に当たり、
集落の中心に聖域を置き、神々を集り、
農業を中心にして畜産・肉食を避けて、牛を神として崇め、
やがてそこが政策決定の王宮に発展した。
それはそっくり倭国の国是であり、王制であり、祭政一致であって、
伊勢神宮以下の神殿と鳥居が
牛を象徴とする構造と八百万(やおよろず)の神々を集ることで、
ウバイド・スメル文化と一致する。
我が国古代の王称が「キ」なのも、
本来は「姫・キ」と書かれていたからなのである。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
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