ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年9月21日金曜日
パーリ語と日本語と英語の繋がり
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録33:7頁
《パーリ語と日本語と英語の繋がり》
「パーリ語と日本語と英語の繋がり」
ウバイドからウワイトに訛り、
それに倭人(ウワイト)と当て字されたものが、
聖徳太子のころには、
ウワヒトと発音されて上人(ウワヒト)と書かれ、
太子の宮殿が「上(ウワ)の宮」と呼ばれていたことなどは、
すでにお話しした。
この「上」もパーリ語ではupaと書く。
その例は次の通りだ。
upari ウパリ 上に、上方へ
「リ」は南九州語では「ジ」と発音する。
リンゴはジンゴ、
琉球はジキュである。
「ジ=二、=ニ・に」への当て字にもなる、
ウパは上で、ウパリは「上に」と一致する。
uparia ウパリヤ 上、上層部 (ヤは家 支配者を意味している)
uparaja-n ウバラージャン 副王(上の宮)、聖徳太子の地位に一致している。
これを見ると、
英語のup(ア・アップ)もまたやはり「上」を意味していることが判るから、
パーリ語がインド・アーリヤ語であることを痛感させる。
upari ウパーリ 仏弟子。
語尾の「リ」は南九州語では「イ」になる。
(明り=アカイ、名残り=ナゴイ、飾り=カザイ)。
優婆畏は、本来は男女を問わず仏弟子を意味していたが、
南九州で訛ったために、
倭人の女性上位で特に女性用名詞とされたものだったのである。
以上でパーリ語は鹿児島まできて日本語化したことがよくわかる。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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