2012年9月21日金曜日

パーリ語と日本語と英語の繋がり



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録33:7頁

 《パーリ語と日本語と英語の繋がり
 「パーリ語と日本語と英語の繋がり

 ウバイドからウワイトに訛り、

 それに倭人(ウワイト)と当て字されたものが、

 聖徳太子のころには、

 ウワヒトと発音されて上人(ウワヒト)と書かれ、

 太子の宮殿が「上(ウワ)の宮」と呼ばれていたことなどは、

 すでにお話しした。

 この「上」もパーリ語ではupaと書く。

 その例は次の通りだ。

 upari    ウパリ       上に、上方へ

 「リ」は南九州語では「ジ」と発音する。

 リンゴはジンゴ、

 琉球はジキュである。

 「ジ=二、=ニ・に」への当て字にもなる、

 ウパは上で、ウパリは「上に」と一致する。

 uparia     ウパリヤ       上、上層部 (ヤは家 支配者を意味している)

 uparaja-n  ウバラージャン 副王(上の宮)、聖徳太子の地位に一致している。

 これを見ると、

 英語のup(ア・アップ)もまたやはり「上」を意味していることが判るから、

 パーリ語がインド・アーリヤ語であることを痛感させる。

 upari    ウパーリ    仏弟子。

 語尾の「リ」は南九州語では「イ」になる。

 (明り=アカイ、名残り=ナゴイ、飾り=カザイ)。

 優婆畏は、本来は男女を問わず仏弟子を意味していたが、

 南九州で訛ったために、

 倭人の女性上位で特に女性用名詞とされたものだったのである。

 以上でパーリ語は鹿児島まできて日本語化したことがよくわかる。

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
 『言語復原史学会:画像』

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