ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年9月24日月曜日
倭人連邦は何故?「女王」を必要としたか?
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録33:10頁
《倭人連邦は何故?「女王」を必要としたか?》
「倭人連邦は何故?「女王」を必要としたか?」
卑弥呼は倭国大乱のあと共立されて倭人の女王に運ばれた。
政治に練達した多くの王たちがいたはずなのに、
経験不足で知恵も知識も劣る彼女が、
若い女性の身でありながら、
なぜ?連邦の運命を左右する最高の支配者に選ばれたのか?。
それだけではない。
卑弥呼が死んだあと、
男王が立ったが、また大乱になり、
幼少の壹與が女王に立てられて平和を取り戻した。
この2度にわたる女性推戴は、
女王制が単なる気まぐれから生まれたのではなく、
それでなければならない強い理由があったことを語っている。
その理由とは拘だったのか?。
これは『魏書倭人章』がもつ
最も重要な役割=倭国という政権の実体を教えている
最大の記録なのである。
それなのに、この問題を論じて答を明かにした者は一人もいない。
無知にも「ヤマタイコク」という愚かな誤名を使って論じた
『魏書倭人章』関係の論者や著者たちが、
着眼すらできなかったのも道理、
その答は、パーリ語の中にあったのである。
ubbari ウッバリ 沃土、女性、妻(いずれも「生むもの」)を意味している。
ウバルと「生まる」は方言差である。
南九州語では妻女を内方(ウッカタ)という、
これはウッバリに対して、
ウッバウ・内方と当て字したものを、
後世ウッカタと混むようになったものである。
また南九州ではウバリはウワイだから
倭は「沃土=倭土=ウワイド」である。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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