ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年9月20日木曜日
仏教説話として作られた「釋迦出家物語」
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録33:6頁
《仏教説話として作られた「釋迦出家物語」》
「仏教説話として作られた「釋迦出家物語」」
従来の仏教観では、
釋迦については、そうした背景には全く触れず、
彼が突然『無常』を感じて出家したものだと信じられてきた。
しかし今、こうしてウバイド人との人種関係が、著しく明瞭になってみると、
これまで固定していた釋迦の出家物語は仏教説話に過ぎなくて、
ウバイド以来の思想の伝承者であった彼は、
女性上位の政教の欠陥を感じて、
よりよき理想を求めて后妃と離別したのが
真相だと考えるほうがより合理的である。
こうしてパーリ語が教えてくれるウバイドとの関係は
実に大きな問題の扉を開いた。
それは単に仏教観を変えるだけでなく、
人類の未来の思想と平和に、
新たに大きく寄与することになったのである。
張政らが卑弥呼らを「倭人」と書いたのは、
倭人がウワイトと呼ばれていたからであり、
それが当時の世界常識だったからである。
張政の職名は彼がパーリ語に精通していたことを証言している。
だからあれだけ精密に倭人について書けたのである。
それでなければ通訳を通じてでは手間がかかり、
誤訳も多くて、
あれだけの内容をもつ報告書を書き、
今なお信頼し重視されることなどあり得ない。
以上でウバイド人=パーリ語人=倭人であった史実は、
さらに一層深く強く確認できた。
パーリ語とウバイド語の関係は、
知れば知るほど事実を痛感させる。
さらにそれをご納得のいくまで、ご覧戴くことにしよう。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
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『言語復原史学会:画像』
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