ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年9月9日日曜日
「北方騎馬民族説」が成立しない、その大錯覚
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録32:25頁
《「北方騎馬民族説」が成立しない、その大錯覚》
「「北方騎馬民族説」が成立しない、その大錯覚」
『北方騎馬民族説』が挙げた「証拠」は全て事実である。
全てオリエントに出自をもっていることは確かだ。
しかし最も肝心なことが抜けている。
それは
「4世紀の古墳時代から、我が国の支配者の『人種』が、がらりと変わった」というのが、
その説の主張の生命だからである。
その肝心の『人種』は、全てがオリエントから出ているだけではない。
全て同じウバイド人の血の混じった子孫たちであることは、もう疑う余地がない。
では何が変わったかといえば、分離して異なったコースを経由してきたために、
暑さ寒さに適応する新しい衣服を考案し、
産物の有無が武器や装飾品の材料を変えたために、
外観が変わっだけで、それは変わるのが当然のことである。
それを「異民族の証拠」だというなら、
幕末の日本人と現在の日本人とは異人種だといわねばならないが、
そんな説は史学では役に立たないだけではない。
そんな主張をする者の頭脳がどの程度か、
子供にでもわかるから、誰も相手にはしない。
『北方騎馬民族説』は、
これと同じことを主張したのである。
3世紀の支配者と4世紀の支配者は「人種」が変わった、というのが、
その説の生命なのに、被支配者はもちろん、
支配者も『北方騎馬民族』などという
赤の他人の「特殊民族」ではなかったからである。
考古学者は物を証拠にする余り、こんな大変な大錯覚を犯すのである。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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