ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年9月18日火曜日
ウバイドがウワイトになったのはパーリ語圏でのこと
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録33:4頁
《ウバイドがウワイトになったのはパーリ語圏でのこと》
「ウバイドがウワイトになったのはパーリ語圏でのこと」
それが日本語を意識して、
そんな配列にしたのでないことは、
AIUEOと5つ揃っているのは、
母音ばかりのア行だけで、
カ行はKとG、
サ行はCとJ、
タ行はTとD、
ナ行はN、
ハ行はPとB、
マ行はM、
ヤ行はY、
ラ行はRとL、
ワ行はVだけで、
その後にSとHが付け加えられているから、
これはどう見ても日本語と同じ50音式の配列ではない。
使う子音もご覧の通り
サ=C=チャ、
ハ=P=パといった強い発音の文字が使われている。
また最後に別物として扱われている
SとHは、
お気づきの通り江戸っ子弁や大隈語の特徴と同じで、
本来のパーリ語ではない他語からの借用語が多く用いられていたために、
準パーリ語といった意味で、特に末尾につけ加えられたものだと判る。
しかしカ行以後も子音と母音が組み合わされて
AIUEO順に配列されているから、
その全体は、日本語の配列と完全に同じであって、
パーリ語と日本語が、
本来は同系統の言語だった事実を強く立証している。
これが日本語のルーツを知る言語史で、
どんなに重要な証拠であるか、お解り戴けると思う。
また上記の子音によって、
Ⅴをワと発音していた事実も解る。
ウバイはパーリ語でウワイに変わった史実がわかり、
中国で「倭」をウワイに当て字したのは
パ-リ語化以後のことだと判って、
ウバイド人の移動コースの地理と時代が、
確実に決定できるのである。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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