2012年9月11日火曜日

「稲」と「殷」を出した巨大な宝庫・インダス



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP
 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録32:27頁

 《「稲」と「殷」を出した巨大な宝庫・インダス
 「「稲」と「殷」を出した巨大な宝庫・インダス

 ウバイドでは、集落の中心に必ず聖域を設けていた。

 それは信仰が重要な役割を果たしていた証拠である。

 そんなことは、遊牧民の世界では見られない。

 牧草を求めて流浪するから、固定した集落は建設できなかった。

 当然その信仰もウバイド人とはかけ離れたものだった。

 ウバイド人が潅漑農業の成功で富むと、

 その余剰農産物は遊牧民のもつ必需品などと交換され、

 やがて貨幣が考案されて売買が始まる。

 それは駆け引きは伴うが友好的な関係を維持する。

 やがて生産者と消費者を仲介する商人が発生して集落に入り込む。

 こうして人口が殖えると集落は膨張して都市化し、

 略奪者に備えて城壁をめぐらした都市国家に変貌して行った。

 彼等が経済文明の先進人だったからである。

 生産者と流通担当者とが分かれると商品の開発が始まる。

 主食はより美味な穀物に変わり、

 副食は肉・魚介・卵・野菜が加わる。

 ウバイドを出てインダスへ行った人たちは、

 侵略者に追い出されたのではなく、

 より良い穀物「稲」の栽培で儲けに、移住して行ったのだ。

 素晴らしい稲に、女神・イナンナの名をつけたのである。

 インダスとは「稲出す」と「殷出す」だと、

 日本語で始めて理解できる地名で、

 インダは稲田と当て字され、

 稲田姫はスサ出身の王と結婚して大国を造り、

 その王・大国主を生む。

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
 『言語復原史学会:画像』

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