ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年9月11日火曜日
「稲」と「殷」を出した巨大な宝庫・インダス
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録32:27頁
《「稲」と「殷」を出した巨大な宝庫・インダス》
「「稲」と「殷」を出した巨大な宝庫・インダス」
ウバイドでは、集落の中心に必ず聖域を設けていた。
それは信仰が重要な役割を果たしていた証拠である。
そんなことは、遊牧民の世界では見られない。
牧草を求めて流浪するから、固定した集落は建設できなかった。
当然その信仰もウバイド人とはかけ離れたものだった。
ウバイド人が潅漑農業の成功で富むと、
その余剰農産物は遊牧民のもつ必需品などと交換され、
やがて貨幣が考案されて売買が始まる。
それは駆け引きは伴うが友好的な関係を維持する。
やがて生産者と消費者を仲介する商人が発生して集落に入り込む。
こうして人口が殖えると集落は膨張して都市化し、
略奪者に備えて城壁をめぐらした都市国家に変貌して行った。
彼等が経済文明の先進人だったからである。
生産者と流通担当者とが分かれると商品の開発が始まる。
主食はより美味な穀物に変わり、
副食は肉・魚介・卵・野菜が加わる。
ウバイドを出てインダスへ行った人たちは、
侵略者に追い出されたのではなく、
より良い穀物「稲」の栽培で儲けに、移住して行ったのだ。
素晴らしい稲に、女神・イナンナの名をつけたのである。
インダスとは「稲出す」と「殷出す」だと、
日本語で始めて理解できる地名で、
インダは稲田と当て字され、
稲田姫はスサ出身の王と結婚して大国を造り、
その王・大国主を生む。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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