ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年9月30日日曜日
1つの代名詞が教えるパーリ語の重要性
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録33:16頁
《1つの代名詞が教えるパーリ語の重要性》
「1つの代名詞が教えるパーリ語の重要性」
『魏書倭人章』は、
卑弥呼の宮廷には「唯 男子一人ありて 飲食を給し 辞を伝う」と、
男子は1人だけだったと強調している。
パーリ語辞典には
「kammika カムミカ 管理者、執行者、官吏、商人」という名詞がある。
この名の発音と意味は
日本語の神御子(かむみこ)や上皇子(かむみこ)にごく近い
(泄謨觚の觚は<カ>と<コ>の両方に読める)。
上皇子はそのままで整徳太子を意味してもいる。
ことに卑弥呼の「男子一人」に当てはめてみると、
その地位と職務とに、まさにぴったりの代名詞である。
これを加えて『魏書倭人章』を読むと、
卑弥呼一族の皇子の一人が、
推古天皇に対する聖徳太子のように側近にいて、
政策を立案して告げ、指揮していたことは、当然のことである。
こうみてくると、
このカムミカの訳は、
官吏というよりは支配者の代理である「代官」のほうが、
より相応しいといえる。
また商人も意味することは、
現代からみれば異様に思えるが、
パーリ語時代のインドでは、
商人の地位が非常に高かった事実と、
殷人が「商」を国号にしていたことで納得がいく。
古代天皇や卑弥呼や整徳太子の実感が、
パーリ語によって、こうしてさらに精度高く復元できる。
それらはウバイド→インダス→日本列島の倭人が、
実は一つの政体だったことを、
強力に証言し、かつ教えてくれた。
パーリ語がいかに我が国の歴史復元に、
貴重で不可欠な文化財であるかを痛感する。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
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