2012年9月14日金曜日

聖徳太子が完全に立証し象徴するウバイド哲学



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP
 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録32:30頁

 《聖徳太子が完全に立証し象徴するウバイド哲学
 「聖徳太子が完全に立証し象徴するウバイド哲学

 この「信仰習慣」の延長だった天皇制は、

 聖徳太子が今も受けている崇敬を考えればよく判ることである。

 それは単に権力で圧倒する王制ではなかった。

 「和をもって尊としとする」大和の思想と哲学に貫かれていた。

 「大和とはウワへの当て字で大和人とはウバイドへの当て字であり、

  ウバイドとは「偉大な和の人」であり、その指導者が「上(うわ)の宮」だったのである。

 その上の宮=聖徳太子は「厩戸(うまやど)の皇子」と呼ばれていた。

 ここまで判ってくると、

 この変わった名も、ウマ=大馬=ウバでウバイドのウバだから、

 次のように発音を分解してUmayadoと書き、

 それを名乗りの本体である国名と考えられる、

 ウバイドの発音の、Ubay doと比較してみると、

 それはウバイドへの当て字だったことが一目瞭然になる。

 聖徳太子は間違いなく

 『ウバイド皇子』と呼ばれていたのである。

 このことはそれだけでは済まない。

 皇太子が名乗る国は別の字では倭国と書いていたのだから、

 その正しい発音は、もう言うまでもなくウワイ国。

 それなのに太子の名には「戸」がついている。

 このことは、

 「倭」は略字で、

 今、

 「日本」を「日」だけで表わすのと同じことで、

 本当は「ウバイド」と語尾にドが付いて発音されていたことを

 「厩戸(うまやど)」が記録していたと気付かねばならない。

 私たちは倭をウワイと発音してきたが、

 正確な国名は当時もウバイドだったのである。

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
 『言語復原史学会:画像』

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