ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年9月14日金曜日
聖徳太子が完全に立証し象徴するウバイド哲学
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録32:30頁
《聖徳太子が完全に立証し象徴するウバイド哲学》
「聖徳太子が完全に立証し象徴するウバイド哲学」
この「信仰習慣」の延長だった天皇制は、
聖徳太子が今も受けている崇敬を考えればよく判ることである。
それは単に権力で圧倒する王制ではなかった。
「和をもって尊としとする」大和の思想と哲学に貫かれていた。
「大和とはウワへの当て字で大和人とはウバイドへの当て字であり、
ウバイドとは「偉大な和の人」であり、その指導者が「上(うわ)の宮」だったのである。
その上の宮=聖徳太子は「厩戸(うまやど)の皇子」と呼ばれていた。
ここまで判ってくると、
この変わった名も、ウマ=大馬=ウバでウバイドのウバだから、
次のように発音を分解してUmayadoと書き、
それを名乗りの本体である国名と考えられる、
ウバイドの発音の、Ubay doと比較してみると、
それはウバイドへの当て字だったことが一目瞭然になる。
聖徳太子は間違いなく
『ウバイド皇子』と呼ばれていたのである。
このことはそれだけでは済まない。
皇太子が名乗る国は別の字では倭国と書いていたのだから、
その正しい発音は、もう言うまでもなくウワイ国。
それなのに太子の名には「戸」がついている。
このことは、
「倭」は略字で、
今、
「日本」を「日」だけで表わすのと同じことで、
本当は「ウバイド」と語尾にドが付いて発音されていたことを
「厩戸(うまやど)」が記録していたと気付かねばならない。
私たちは倭をウワイと発音してきたが、
正確な国名は当時もウバイドだったのである。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『言語復原史学会:画像』
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