ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年9月8日土曜日
全てが我が国と血縁関係をもっている五胡十六国
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録32:24頁
《全てが我が国と血縁関係をもっている五胡十六国》
「全てが我が国と血縁関係をもっている五胡十六国」
それは「瓊瓊杵(ニニギ)の命」が
鹿児島の笠沙の岬から直行した韓国(カラくに)や、
韓国見(カラくにみ)岳の名が立証している
姶良郡(からぐに)=姶良郡(あいらぐん)以外には、
どこにもありえないからである。
これがウバイドが姶良郡を中心にしていた理由だとすれば、
針の先で突つく隙もないはど完全に辻褄が合う。
その時代背景から見て、漢代の倭人は帥升(スサノオ)も含めて、
この殷の準王の子孫だとすることできる。
しかし、これは卑弥呼の家系をいうのではない。
彼女が生まれた家系の倭人たちは、同じ大隅出身でも、
大隅(うふすん)→ウースン→烏孫→カラスマ→烏丸(からすま)(京都市)の名詞群が
立証しているように、
広く東アジヤを移動して、三国時代の呉の皇帝たちを出した人たちで、
同族ではあるが、早く分かれていた人たちだったからである。
だから、殷の子孫に限定する必要はない。
ウバイド人の子孫は5000年を超える年代の間に、
次々に起こった拡大と分離、移住で、当然、様々に往来して、
複雑に入り交じっていたのである。
在来のような数世紀単位でしか歴史を考えない思考力では、
我が国の膨大な史実は、とても正しく認識することはできない。
それはもう今更いうまでもなく、
地中海文明圏まで含む全アジヤが舞台だからである。
それももう卸存知のように三国時代の後、
五胡十六国時代が出現したが、その全てが、
同族だといっていいほどの血縁関係をもっている。
ヒトラーが言ったような異民族など存在しない。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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