ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年9月7日金曜日
ウバイド人が間違いなく周代の中国に居た完全立証
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録32:23頁
《ウバイド人が間違いなく周代の中国に居た完全立証》
「ウバイド人が間違いなく周代の中国に居た完全立証」
しかしこれで、周人がウバイド人を知っていたこと、
それはわざと倭人と書いているが、
その実体は殷人と同じ人々だったことが確認でき、
間違いなく周代の中国に居たことが完全に立証されたのである。
その記録が『論衝』という後世の文書にしか載っていないことで、
頭からデタラメだときめつけて、
それが知性ある行為だと錯覚している自称評論家などもいるが、
そんな連中が人類の進歩を妨げる敵だということは、
この例でよくお判りになったと思う。
そんな連中が懐疑派などと呼ばれてインテリだとされた時代も確かにあったが、
私たちはすでに、ずっと高い知性をもった時代に生きているのである。
では周朝が倭人と呼んだ人々は、その後どうなったのか?…。
それが殷入と同じ人たちだと判ると、殷の最後の皇帝・紂王が滅ぼされたあと、
その兄の箕子(きし)が朝鮮半島に移って今の平壌に都・王険をつくり、
箕子朝鮮をたてたが、
その子孫の準王は、B.C.E.3世紀に、
難民の衛満に騙されて朝鮮を奪われ
海を渡って韓地へ逃げたことを本講でも検討した。
朝鮮の位置と範囲は時代によって、いろいろ変動はあったが、
その位置は今の半島以外ではありえない。
すると、そこから海を渡って逃げ込める韓地とは、
どこのことだったか迷うような問題ではなかったのだった。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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