2012年9月19日水曜日

インダスヘ入ったアーリャ人こそ「塞=釋迦族=倭人」 



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP
 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録33:5頁

 《インダスヘ入ったアーリャ人こそ「塞=釋迦族=倭人」
 「インダスヘ入ったアーリャ人こそ「塞=釋迦族=倭人」

 中国人が、

 その「倭」に人をつけて「倭人」と表記したのは、

 遅くとも周の時代だったと解るのは、

 『論衡』にある

 「倭人、鬯草を貢す」という記事によるが、

 周の前の王朝が殷で、

 それは稲敷ら中国へ渡ったウバイド人が建てた国だったことは、

 既によく御存知だから、もう『論衡』を疑う必要はない。

 この鬯草は東南アジアに多産する薬用キノコの一種・霊芝(レイシ)だから、

 倭人の移動コースもわかるし、

 当時、すでに薬草知識が発達していたことも解る。

 だがそれ以上に、

 古代ウバイドからインダスへ移住した人々がパーリ語人であり、

 シャカ族すなわちスキュタイ人(塞)だったから、

 魏は塞曹掾史の張政を我が国に派遣したのだと、

 当時の人種区別と認識の深さも併せてわかる。

 『魏書倭人章』の解読は、

 ここまで解らなければ十分だとは言えない。

 これでウバイド人がインダスヘ入ったことは動かなくなったが、

 それはスキュタイ人で、在来、単にアーリヤ人という漠然とした

 呼称でしか呼ばれていなかった人たちだったから、

 この発見は世界史上、

 最も重要なものの1つになった。

 またこの発見が不動の確実牲をもつことも

 仏教の説く最大の特質『慈悲』が、

 平和と愛を鉄則とした

 女性国家・ウバイドの国是からしか生れない思想によるものだったと判る。

 卑弥呼はウバイド女王なのである。

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
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