ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年7月31日火曜日
全部が日本語で読めるスメルの天地開闢の神々
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録31:11頁
《全部が日本語で読めるスメルの天地開闢の神々》
「全部が日本語で読めるスメルの天地開闢の神々」
『神代記』の名詞史料として、
一番古い位置に書かれているのが、
この国常立尊に始まる天地開闢の神名だが、
<スメル>にも同じ様式の天地開闢の神々がいる。
スメルの天地開闢神名 性格 日本語との比較 日本神名との比較
アプス Apus 水神(河川) 浴ぶす(浴びする) 葦牙(アゲ)(沖縄語)
ティアマト Tiamat 水神(海洋) 大海人(タイアマト)(天武天皇の幼名)
ムンム Munm 水神(雲霧) 霧雲霧(ムンムン) 豊雲野尊・霧島神
1 アン An 天 アマ・アメ 天御中主はかの天…
2 エンリル Enrir 空間 遠(エン)立(リツ) 常立
3 エンキ Enki 大地と水 縁起、縁王、榎木(姓)国(領土) 常立尊
4 ナンナル Nannar 月 n→m マンマル(真ん丸) 月夜見尊
5 ウトゥ Utu 太陽 大燈(うとう)・烏藤・宇土・宇都宮 鵜戸神宮
6 イナンナ Inanna 植物 稲女(いなんな) 保食(うけも)神
タンムズ Tanmus 植物神の夫 田圃(たんぼ・沖縄語タンプ→タンム)
7 ニンフルサグ Ninfursag 根(ニ)ン掘(フ)る下(サ)ぐ(=沖縄大隅語)・惶根尊
『参考』
『言語復原史学会:Web』
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古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
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2012年7月30日月曜日
『日本書紀』に生々しく伝っていた「スメルの伝承」!
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録31:10頁
《『日本書紀』に生々しく伝っていた「スメルの伝承」!》
「『日本書紀』に生々しく伝っていた「スメルの伝承」!」
この『豊葦原水穂国』を
『古事記』は「宇摩志阿斯訶備(アシカビ)比古遅神」と変形し、
スメル起源の実在の名詞を消してしまっている。
『日本書紀』は
「開闢の初め浮き漂う洲壌は…魚が水上に遊ぶが如く
…時ありて天地の中に一物生ず。
その状、葦牙の如し、化せる神を国常立尊と號す」と書いている。
初期の国の姿は沼沢地の浮き島のようなものだったと、
国家形成前の先祖たちが見た<スメル>の実際の光景を、
葦の芽に始まると描写して、
それを常立する国=独立国家に創り上げた恩人=先祖たちこそ国民の恩人で、
神と呼ぶべき存在なのだと説明して建国の始めを見事に私たちに伝えてくれている。
これは<スメル>の伝承が『日本書紀』に生々しく伝っていて、
それを忠実に漢文に訳して表現したことの、
動かぬ強力な証拠である。
これより前の『日本書紀』の記事は、
中国の徐整筆『三五暦記』と、
劉安筆『准南子』をほとんど丸写ししたものだと判っていたが、
そのあとの天地開闢以後を明らかにできた者はいなかった。
それが<スメル>の説明だというこの発見は画期的なものなのである。
では直訳は『豊葦原瑞穂之国』の部分だけだったのか?。
次は近号の主題に選んできた謎=「『記・紀』の実態と『神話』の正体」とが、
この豊葦原水穂国という「スメルそのものの描写」の発見で、
明確に解るという研究成果を、ご覧戴くことにしよう。
『参考』
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2012年7月29日日曜日
日本語の知識なしでは不可能な「真のスメル研究」
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録31:9頁
《日本語の知識なしでは不可能な「真のスメル研究」》
「日本語の知識なしでは不可能な「真のスメル研究」」
前30号で「住」の字の重要性を取り上げてお話ししたのは、
この言葉が、
さらに大きな問題である「スメル」の謎を解くからだったのである。
もうお気づきのように<スメル>はそのままで
日本語の「住める」に一致する。
日本語はこの地域の言葉を今なお多く含んでいる。
この「住める」もその語の1つとして見ると、
<スメル>というのは「住める地域」ということだったことになる。
ただしそれは現代では「住むことのできる地域」と受けとられるのだが、
この「スメル=住める」は古語である。
古語の「住める」は
「住んでいる」または「住んでいた」という意味である。
地域と国は同義語だから、
「住んでいる国」「住んでいた国」という形容名詞、
それが「スメル」だったことになる。
日本語の古語の「住める」が、
故郷を想う望郷の念から生まれたことは、
後の倭の五王の一人、
「済(すみ)」の名乗りに用いられた程の重要語だった理由を理解させる。
他の4人のそれもまた同じ性格を備えているからである。
この例で判るのはスメル研究は
日本語の高度な知識なしでは完成しないという事実である。
それは今はまだ、
我が学会会員でなければ挑戦不可能な相手だということでもある。
これが本学が海外の研究を引き離して、
はるかに超えている最高の史学である理由でもある。
私たちは奇跡としか思えない程の研究環境に恵まれているのである。
御精励を期待して止まない。
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2012年7月28日土曜日
シュメルは英語訛り、実在したのはスメル
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録31:8頁
《シュメルは英語訛り、実在したのはスメル》
「シュメルは英語訛り、実在したのはスメル」
<シュメール>と、これまで呼んできたのは、
実は正確な発音ではない。
それはアッカド語で、
正しくは次のように「Sumeru」と書き、
発音は原語でも、
ギリシャ、ラテン発音でも「スメル」なのだが、
研究の主力が英国人だったために、
我が国では英語訛りが使われて、
<シュメール>という発音が名詞として定着、
それを使わないと何のことか判らないという異常な状態が今も続いているため、
私(加治木義博)も仕方なく、
これまで<シュメール>としてお話ししてきたのである。
古代には<シュメール>などという名詞は存在しなかったのであって、
<スメル>、<スメラギ>(スメル吾君(あぎ))の方が実在していたことを、
しっかり確認しておいて戴きたい。
またそれは国名だとも思われているが、
チグリス・ユーフラテス両河下流域を中心とした漠然とした地域名で、
住民自身はそれを楔形文字で
<Ki(葦)En(主)Gi(地)>と書く。
2大河下流域は湖沼が散在する広大な葦原地帯である。
葦の主(王)の土地だというのだ。
この語順にも注意がいる。
日本語と全く同じであることを見落としてはいけない。
だから『記・紀』が、我が国の別名として挙げている
『豊葦原瑞穂(水穂)之国』とは、
この<KiEnGi>の直訳だと理解する必要がある。
このままでは「スメル」は単なる地域名に終ってしまうから、
放置せずに、もっと追及して見よう。
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2012年7月27日金曜日
来たのは円筒印章文化以前にシュメルを出た人たち
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録31:7頁
《来たのは円筒印章文化以前にシュメールを出た人たち》
「来たのは円筒印章文化以前にシュメールを出た人たち」
それを使用してその便利さを知った人々は、
それなしには仕事ができなくなる。
たとえどこへ移住しても、取引き、契約、記録はついてまわる。
生活必需品になった印章は放せないから、
移住先でもそれを使い続けて、
最後は副葬品の中に入っていることになる。
それなのに我が国では、
その遺物が全く見当たらない。
それも<円筒印章>が大きくて、
輸送が不可能な器具なら別だが、
簡単に携帯できるし、
仮に無くしたとしても特殊な材料や製作技術がなければ作れないものではない。
材料は石ころであり、その整形や彫刻も、素人細工でも充分作れる。
それが我が国に皆無だというこの事実は、
<円筒印章文化>をもったシュメル人は、
我が国には来ていないという動かぬ証拠なのである。
では何故?
これまで見てきたようなシュメル人との共通遺物が見つかるのだろうか?。
それは円筒印章が発明される前にシュメルを出た人々が、
我が国までやってきた場合にだけありうることである。
私たちの先祖がシュメルから来たことは、
数々の証拠で間違いない事実だと納得できているのだから、
シュメルの歴史知識はどうしても必要だし、
シュメルとは何か?という常識ももっていなければならない。
必要部分を手短かに見てみよう。
またそれがもっと明確な遺物・証拠を残していないかも再検討してみよう。
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2012年7月26日木曜日
我が国まで来たのはシュメル人ではなかったか
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録31:6頁
《我が国まで来たのはシュメル人ではなかったか》
「我が国まで来たのはシュメル人ではなかったか」
大学院講義録30号までは我が国の遠祖が、
<シュメル>からやって来たように見える証拠を挙げてきた。
しかしそれは可能性があるというだけで、
決定的なものではなかった。
我が国の<シュメル起源説>は少なくないが、
まだ動かない結論を出した論説は1つもない。
当然、反論もあったが、それもまた中途半端で終わっている。
それはなぜか?それは論拠が弱く、学問として不完全だったからだ。
そこでこれからその不完全さを指摘して、
日本列島へきた私たちの祖先は絶対に
「在来のシュメル人」ではなかった事実を立証してご覧に入れよう。
その決定的な証拠は、シュメル文化を代表する
「円筒印章」が我が国に伝わっていないという事実である。
<円筒印章>は、<シュメル文化>を代表する、ずば抜けた先進文化である。
それは同じ文字や符号や絵を、
素早く、簡単に、繰り返し、再生して、表示し、
記録として長期間、不変の姿で保存できる。
という『印刷術』の発明なのである。
その技法も円筒形の原板を回転して押捺するというシステムは、
印刷術でも高度の発明である輪転機こ匹敵する。
押捺するだけの普通の印章とは比較にならぬ、
現代の発明にも比肩する高度の知能産物だ。
しかもその用途は、
契約や記録にサインに代わるものとして、
一度使用し始めると政治経済、
文化の総てに無くてはならぬ、
社会生活に不可欠の必需品なのである。
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2012年7月25日水曜日
不完全説は功績ではなく「悪事」
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録31:5頁
《不完全説は功績ではなく「悪事」》
「不完全説は功績ではなく「悪事」」
この日本列島からか中国からか?という
ルートの問題は「方向」だけで明確に定義できる。
では何が証拠になるか?。
殷と稲敷のどちらかを決定する動かぬ証拠をご覧に入れよう。
それはワシントンにあるフリア美術館にある
殷の青銅器、「人面盉(か)」と、
兵庫県西宮市にある辰馬資料館蔵の縄文土器の
「人面注口器」である。
この2つは素材も出土地も異なっているのに、
その外観も、
構成部分の姿も、
模様や形や横能も、
全く同じといっていいものが多数あり、
同じ信仰をもつ同族が作って、
祭祀に用いた器具だったことが判っている。
それが全然別の研究でも明らかになる。
殷墟と稲敷郡との間に実在する測量遺跡「霊ライン」の存在でも
「殷人と稲敷人」が同じ種族の人々だったことが確認できている。
ではこの2か所に分かれた人々は、
どちらからどちらへ移動したのか?。
それを決定するのはどちらが古く、
どちらが新しいか?という点だけである。
同じ種族が縄文土器しかもっていなかった時代と、
高度の美術品に育った立派な青銅器をもつ時代とでは、
縄文土器の方が古いに決まっている。
それは年代測定によって、
さらに不動の証拠になっている。
これで縄文時代に稲敷にいた人が中国に渡って殷人の
『商帝国』を樹立したことが明瞭に立証されて疑う余地は残らない。
Ⅹ氏の努力は全くマイナスであり、
史実と学問を破壊する『悪事』でしかないのである。
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2012年7月24日火曜日
「思いつき素材」を並べても学問にはならない
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録31:4頁
《「思いつき素材」を並べても学問にはならない》
「「思いつき素材」を並べても学問にはならない」
「学問」とは、
その「モノ」から、不変の法則を見出だすことであり、
そのシステムと、答とを、
全ての人が利用できるように方法を確立することでもある。
モノは素材に過ぎず、森や海にある食べられるものに当る。
それを集めて店頭に並べると「食品」。
それを効果別に分類したり、利用法を考えると「栄養学」。
それを食べた結果おこる病気を処理するのが「医学」。
それに使用する薬品を研究するのが「薬学」だから、
ざっと考えても学問とは、
「栄養学」以後で、
素材や食品の段階のものは、
どんなに量が多くても、学問ではない。
いま進めているルーツの問題を例にとると、
それは
「どちらからどちらへ移動したか?という方向」が
結論を決める。
判り易い例を挙げると、
私たちは殷は稲敷にいた人々が中国へ渡って興した国だと理解している。
ところが、
Ⅹ氏は全く逆に、
殷人が我が国に攻め込んで征服支配したのだという。
その証拠は皇室が殷と同じ亀卜(きぼく)を行なうのが、
動かぬ決定的証拠だというのである。
けれどもこの説が正しいのなら、
我が国の国名は「殷か商」で無ければならないが、
氏が証拠として挙げた天皇家の統治した
国名は「倭」と「日本」以外にない。
これは<亀卜(きぼく)>は、
氏の主張を立証する証拠にはならないということと、
侵入または移動の方向が逆だという証拠でもある。
重要な「霊ライン」も知らない思いっき説でしかない。
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2012年7月23日月曜日
真実の「定義」とニセ学問の見分けかた
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録31:3頁
《真実の「定義」とニセ学問の見分けかた》
「真実の「定義」とニセ学問の見分けかた」
今お話ししているシュメルのルーツ問題にしろ、
以前のギリシャ説にしろ、
言語復原史学だけが初めて取り上げた問題ではないことはいうまでない。
当然といえば当然だが、会員の皆さんから
それは昔、木村鷹太郎が言いはじめた説だ。
とか、○○何年にⅩⅩ氏が書いている。
とかいうお便りを戴く。
だがこれは、捨てておけない大問題を含んでいるのである。
それはなぜか?。
ルーツ問題とは何か?。
復元史学とは何なのか?。
ここで改めて学問とは何かという正しい認識の重大さを、
ご一緒に考えておく必要がある。
前にもお話ししたが、
「…と思う」
「…ではなかろうか?」
「…のはずだ」等というのは、
「単なる思いつき」に過ぎず、
調べていくと崩壊して消滅するのが大半である。
とくに言語は人の口で発音できる範囲内の限られた発音の組み合わせだから、
世界の多数の言語が同じ発音の言葉を沢山もっている。
慎重にそのルーツを辿って始めて真実に出会えるのである。
その中に、どんな観点からみても間違いないと、
立体的に証明できるものが残れば、
それが真実だと初めて認められる。
こうして1つ1つ確認するのが「学問」で、
単なる発見や、
思いつきをどんなに大量に羅列してみても、
それは落ちているものを拾った程度の採集品に過ぎず、
ありふれた「モノ」でしかない。
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2012年7月22日日曜日
過去の邪馬台論争を超える、たった一枚のスケッチ
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録30:31~32頁
《過去の邪馬台論争を超える、たった一枚のスケッチ》
「過去の邪馬台論争を超える、たった一枚のスケッチ」
図は鎌倉時代末期、元寇の約半世紀前の寛元元年(1243年)、
肥前から中国へ渡ろうとした商人たちが、
漂流して沖縄へ漂着したときに写生した、
当時の沖縄漁民の風俗スケッチで、
その体験を記録した貴重な
『漂到琉球国記』の巻末につけられた絵図の一部である。
この女指揮者は間違いなく「三叉鉾」をもっている。
それには房飾りが垂れているので、
魚を突くための漁具ではなく、
神の助力を祈るための象徴=聖器だとわかる。
するとそれが<三叉鉾>であることは、キリストの十字架と同じく、
その<三叉鉾>だけで、その神が<ギリシャの海神・ポセイドン>だと判る。
それだけではない。
女性が指揮者であることは、
当時沖縄にいたことの確かなカリエン人の習俗で、
その風貌も西方のもの、この絵が表わしている人種は、
カリエン人とギリシャ人との混血なのである。
さらによく見ると、
「貫頭衣」を着て、
断髪した頭に布を巻き『魏書倭人章』にある
「招頭」とはどんなものだったかを眼のあたりに見せてくれる。
その弓は上が長く下が短い倭人の弓である。
たった1枚のスケッチだが、
それが元禄の荒井白石から、
明治大正の大論争を繰り返した大歴史家たち、
そして戦後に、雨後の筍のように現われた大量の邪馬台学者の、
その誰もが、全く立証できなかった真実の<倭人の風俗と文化>を、
この絵は物の美事に完全に描写して、証明し厚くしているのである。
「図」『漂到琉球国記』巻末絵図の一部
《漂到琉球国記》
「漂到琉球国記」
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2012年7月21日土曜日
誰が?タタラを、いつ?、もって来たか?
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録30:30頁
《誰が?タタラを、いつ?、もって来たか?》
「誰が?タタラを、いつ?、もって来たか?」
では、<タタラ>を我が国まで持ってきたのは、
インド人か?ギリシャ人か?
それとももっと古くやって来た<シュメール人=カリエン>たちだったのであろうか?。
今も東南アジア各地ではカレン人(カリエン)が、鍛冶屋部族としてよく知られている。
それも女性の仕事である場合が多い。
彼等が我が国へタタラ文化をもってきた証拠は
我が国で<カジャと呼ぶその職業名>が、
はっきり立証する大文化財になっている。
<鍛冶屋>と呼ぶその名は、
<リ>を<ジ>と発音し<家(イエ)>を<ヤ>と発音する<南九州語>は、
今でも<カリエン>を<カジャン>と訛るし、
英語でもカルデアンはカージャンと発音する。
カリエンの名がそのままで鍛冶屋なのである。
彼等は今、
タイでカリエンだが、
ミャンマーでカレンと呼ばれて
カレン、カレンニの2州を
構成する勢力をもっている。
女性を族長とする女系家族で、
その住居は大きく『魏書倭人章』にある倭人の大家族、
大家屋と多くの一致点をもち、入れ墨をし、
女性は貫頭衣を着、健康維持に肌に土を塗る。
『魏書倭人章』は朱丹と書くが、それを我が国では朱砂・スサと呼ぶ。
スサの王の一族がタタラをもってきたことが、
これらとその「鉄鏃」という2字で、
徹底的に立証されている。
こうお話しすると、
私(加治木義博)の東南アジア歴訪調査が、
どんなに効果的に倭人と『魏書倭人章』の実体を明確にしたか、
その行動力の成果がよくご評価戴けると思う。
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2012年7月20日金曜日
正確な『三韓史』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録30:29頁
《正確な『三韓史』》
「正確な『三韓史』」
すると<馬韓>は<マカラ>で「靺鞨(マカラ)」と書かれた国、
インド語のクジラ・鯨のことで百済(クダラ)、串良、
臥蛇島・ガジャジマ(鯨島=ガジャミナ・鯨=インド語)を生んだ語源。
弁韓はベンガルで南インド人の国だと判るから、
南鮮の国々は薩南諸島からのインド系の人々、
ソナカ仏教徒を中心とした「倭人」移住者の国だったことが判る。
卑弥呼の直接支配地だったといっても絶対に間違いではない。
なぜなら卑弥呼は別名の息長帯(ソナカシティ)姫
(蘇那曷之帯(ソナカシティ)の妻・神功皇后)で、
明確に「帯方郡」を意味する
朝鮮半島の領主であることを名乗っているからである。
それは高句麗を主軸にもつ天皇家の女王だから当然の名乗りだが、
神功皇后の記録にある彼女がソナカ(仲哀天皇)と
共に攻略した三韓は半島ではなく薩南諸島で、
その結果が南鮮への大移動を生み、
三韓が朝鮮半島にあることになったのである。
<韓・カラ>の地名は今も
「吾平=姶良=カラ」「韓国見嶽(からくにみだけ)」
として南九州に名残りを止めている。
こうみてくると
鉄鉱山のない新羅地区の辰韓が「鉄を出す」と特記されている謎が解ける。
こちらの辰韓は、朝鮮半島の辰巳(東南)の国という意味で、同じ名をもち、
同じ人たちが住む2つの国の報告書が混同されて引用されたために、
南鮮に鉄山があるという記事が誤載されただけで、
真相は種子島の豊富な鉄資源が倭人連邦人に広く使われていた記録である。
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2012年7月19日木曜日
辰韓の鉄の謎を解く種子島海軍国の総括
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録30:28頁
《辰韓の鉄の謎を解く種子島海軍国の総括》
「辰韓の鉄の謎を解く種子島海軍国の総括」
この<種子島>はまた、
沖縄から中国東北区やロシア沿海州に及ぶ海上支配権をもち、
「漕ぐ人(りょ)」という呼び名から始めは
「高句麗(コグリョ)=朝鮮語」
という当て字をもった大国の本国で、
位宮と卑弥呼時代には、
ビシュヌー神を名にもつ道の大人(うし)を王とする海軍王国の本国だったが、
ポントスを名乗るギリシャ系応神朝以後、
ポセイドンが国名に選ばれたことによって、
<ポセイドン>の名から<百済>と<出水・和泉・出雲>が生まれたことも、
その<百済>が<ハツセー>と読まれて<長谷>の地名を残していることも、
また<百>が<ホ>と読まれて
「豊(ホ)の国=豊津国(ホツマ)=豊玉(ほつま)=秀真(ほつま)国」
という国名で呼ばれることなども、すでに充分、確認済みである。
そしてその<和泉の首都>が百舌鳥耳=百済(モズミ)こと<堺>であることは、
幾つもの謎を明快に解いてくれている。
まず『魏書・東夷・韓章』の辰韓の部分にある、
「この国には鉄が出る。
韓・濊・倭は従(欲しいままに)それを取る」という記録であるが、
この辰韓を朝鮮半島東南部の、
後の新羅(慶州地方)のことだとすると、
そこには鉄の産地は全くない。
この辰韓を南九州語で「タッカラ」と読むと、
宝島や<トカラ列島>のある<薩南諸島>のことになり、
豊玉を漢音で「リユウ」と読むことから、
豊玉姫が竜になり、
竜宮伝説が生まれたりした種子島が、
鹿児島県の辰巳の方角=東南に位置するので
「辰巳(タミ)が島や辰韓(タッカン)=立神」と呼ばれたことがわかる。
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2012年7月18日水曜日
種子島→淡路島が大和政権を生んだ理由
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録30:27頁
《種子島→淡路島が大和政権を生んだ理由》
「種子島→淡路島が大和政権を生んだ理由」
神武天皇の正妃・媛蹈鞴五十鈴媛は垂仁天皇の皇后でなければならない。
垂仁天皇の始めの皇后は、
あの<悲劇の狭穂姫>で、<誉津別皇子>を残して死んだから、
その後で皇妃になった丹波の道主の5人の娘の一人である。
すでによくご承知の通り、狭穂姫の<狭>は<アイヌ語のタンネ>で<種子島>である。
<穂>は豊玉の<豊>で、やはり<種子島の古名の1つ>だし、
丹波の道主のタニバは<種子国=タネマの沖縄発音・タニバ>である。
種子島は戦後、
アメリカへ宇宙機用のチタン原料として、
大量の砂鉄を輸出し続けたように、
世界でも最高級の品質をもつ砂鉄の希に見るこ大産地であり、
古代種子島の坂井人が大阪府の堺を造って、
戦国時代に種子島銃の独占産地になった史実が物語るように、
古代から近世に至る我が国鉄器産業の最大の中心地を形成して行ったのである。
種子島がタタラ技術の先進地であり、
タタラが国富と文明を象徴するトップ産業だったことを見逃してはならない。
するとそれを名にもつ「タタラ姫」は、
夜も輝くような美と富の姫という
赫夜姫の名が同じ島で生まれたのと同じで、
必然的であるし、
またその富と武力が、
天皇家とその一族の「橘=種子島人(タチバナ)」政権を東征させ、
倭人圏を本州・四国に拡大させたのであり、
「古代淡路島(タンジシマ)=種子島(タンジシマ)」を拠点に
一気に奈良に大和朝廷を
定着させたのであることが、
はっきり組織立って、立体的に理解できるのである。
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2012年7月17日火曜日
『魏書倭人章』が保証する鉄器文化の実在
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録30:26頁
《『魏書倭人章』が保証する鉄器文化の実在》
「『魏書倭人章』が保証する鉄器文化の実在」
私が手にした『潮干るの珠、潮満つの珠』は、
「海幸・山幸J の主題宝器である。
これは神話学者が神功皇后とは無関係な
『神話』だとしてしまっていたが、
その遺物の保管者である鹿児島神宮は、
それを神功皇后の遺品として伝統していたのである。
そして事件はまさに海から来た皇后軍が、
山=姫木山に立て龍もった卑弥呼政権軍を負かして、
壹與政権を樹立した。
海幸が山幸=隼人を負かしたのである。
これは『大隅正八幡縁起』にはオオヒルメが
幼児八幡を連れて船で
八幡崎(崎は漢音「キ」で沖縄音「チ」=ハマンチ)に着いたとある。
これが品陀真若王で、その娘婿が応神天皇である。
だからその皇居は
軽の明の宮=鹿児(ル)の阿鹿児の宮=鹿児(ゴ)之国=鹿児島(神宮)なのである。
倭の五王の応神王朝はここから出発し、
東55 、西66 、海北95 の国々 を従えた後、
倭王・武が 高市に入って、
初めて大和朝廷が生まれた。
在来の神武東征誤信に犯された大和説は、もう跡形も残らない。
これでヤマタイ所在論争は終わるが、
実際はこれでもまだ全てではないことを申し添えておいて、
こうした発見が、
さらに、
これまで不明のままだった世界史の最古の謎に、
決定的な答を出していることを結びとしておこう。
それはウバイドの村落遺跡に常に存在した中央神殿の信仰の内容である。
それはお気付きの通り、
日=太陽を祭るものだったのである。
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