ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年7月9日月曜日
邪霊の人格化、死と豊穣の根の国の王
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録30:18頁
《邪霊の人格化、死と豊穣の根の国の王》
「邪霊の人格化、死と豊穣の根の国の王」
これらは巨人的な性格をあらわしいる。
天照大神に対する敵役と出雲での英雄神・文化神ぶりは全く対照的だ。
これは別の2神が後に同一視された結果だろう。
天で農耕をさまたげ、新嘗の神聖を穢した罪で、
髪や爪を抜かれて重荷を負おわされて追放されるのは、
穢れ災厄を担わされて祓われる「形代(かたしろ)」の人格化であり、
天の岩戸の物語りでは、尊貴を殺して天地を暗くする邪霊の役割で、
宮廷の祭儀と神話では敵役である。
それに対し、出雲地方や、出雲と文化的に密接な紀伊地方では、
人類に福祉を授ける恩人とされている。
また父に根の国に行けと命じられ、高天原から根の国に追放され、
大国主が根の国を訪れると、根の国の支配者であったり、
木種を分布させ終えると熊成峯から根の国に入ってしまう。
根の国は死者の国だが、一面、ニライカナイ同様、
生命と豊穣の源泉だとも信じられていたらしい。
『日本書紀』の一書に、
追放されると青草を束にして蓑笠にし、宿を乞うたとあるのも。
豊を根の国からもたらす「まれびと」の姿で、
『備後風土記逸文』にある
<蘇民将来>を訪れた<武塔神>は「わしは素戔嗚の尊だ」と名乗る。
彼が<大気津比売>や大蛇を殺し、
大小の須佐田を定めた(『出雲風土記』)というのも、
本来出雲の豊穣神が、後に朝廷の祭儀で邪霊とされたもので、
号泣したのも司祭の狂踏乱舞を写したものという。*
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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