ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年7月12日木曜日
八耳=ヤキ=八木=八岐=八俣の大蛇
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録30:21頁
《八耳=ヤキ=八木=八岐=八俣の大蛇》
「八耳=ヤキ=八木=八岐=八俣の大蛇」
こうして廃仏棄釋が打ち壊し、
神話学や民俗学が粉々に捻り潰した、
いわゆる『出雲神話』とは、一体?どんなものだったのか?。
その説明は簡単である。
「八耳」という名詞の「耳」は朝鮮語では「キ」と発音するから、
半島からきた人たちの中に<ヤキ>という名だと思った人がある。
その移住者がこの<八耳>を姓にすると「八木」という当て字が生まれる。
<ヤキ>はまた<八岐>とメモる人もある。
また南九州人は<八耳>を「ハツミン」と発音し、それをさらに短縮するから、
他地方の人には「ハミ」と聞こえる。
関西では蛇を<ハミ>・<ハメ>という。
「八岐の大蛇」は<八耳>から生まれたといってもコジつけではない。
この問題で一番重要なのは、「八岐の大蛇」が先に実在したのではなく、
先に実在したのは「人」で、
その人の「名」が「八耳」だったため、
次第にその読み方が間違えられて、
その集積が「八岐」「大蛇」という「名詞だけ」を造り上げたという点である。
それができた後で、
こんどは恐るべき怪物「八岐の大蛇」の姿や悪行がつけ加えられて、
さらにそれに苦しめられる被害者が具体的に創作追加され、
さらにその後で、それを救済に登場する英雄が考案されて、
それに<スサノオ>という名が与えられた。
だから順序から行くと、
<スサノオ>という英雄は一番最後に生まれたことになる。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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