ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年7月29日日曜日
日本語の知識なしでは不可能な「真のスメル研究」
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録31:9頁
《日本語の知識なしでは不可能な「真のスメル研究」》
「日本語の知識なしでは不可能な「真のスメル研究」」
前30号で「住」の字の重要性を取り上げてお話ししたのは、
この言葉が、
さらに大きな問題である「スメル」の謎を解くからだったのである。
もうお気づきのように<スメル>はそのままで
日本語の「住める」に一致する。
日本語はこの地域の言葉を今なお多く含んでいる。
この「住める」もその語の1つとして見ると、
<スメル>というのは「住める地域」ということだったことになる。
ただしそれは現代では「住むことのできる地域」と受けとられるのだが、
この「スメル=住める」は古語である。
古語の「住める」は
「住んでいる」または「住んでいた」という意味である。
地域と国は同義語だから、
「住んでいる国」「住んでいた国」という形容名詞、
それが「スメル」だったことになる。
日本語の古語の「住める」が、
故郷を想う望郷の念から生まれたことは、
後の倭の五王の一人、
「済(すみ)」の名乗りに用いられた程の重要語だった理由を理解させる。
他の4人のそれもまた同じ性格を備えているからである。
この例で判るのはスメル研究は
日本語の高度な知識なしでは完成しないという事実である。
それは今はまだ、
我が学会会員でなければ挑戦不可能な相手だということでもある。
これが本学が海外の研究を引き離して、
はるかに超えている最高の史学である理由でもある。
私たちは奇跡としか思えない程の研究環境に恵まれているのである。
御精励を期待して止まない。
『参考』
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