2012年7月21日土曜日

誰が?タタラを、いつ?、もって来たか?



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録30:30頁


 《誰が?タタラを、いつ?、もって来たか?

 「誰が?タタラを、いつ?、もって来たか?

 では、<タタラ>を我が国まで持ってきたのは、

 インド人か?ギリシャ人か?

 それとももっと古くやって来た<シュメール人=カリエン>たちだったのであろうか?。

 今も東南アジア各地ではカレン人(カリエン)が、鍛冶屋部族としてよく知られている。

 それも女性の仕事である場合が多い。

 彼等が我が国へタタラ文化をもってきた証拠は

 我が国で<カジャと呼ぶその職業名>が、

 はっきり立証する大文化財になっている。

 <鍛冶屋>と呼ぶその名は、

 <リ>を<ジ>と発音し<家(イエ)>を<ヤ>と発音する<南九州語>は、

 今でも<カリエン>を<カジャン>と訛るし、

 英語でもカルデアンはカージャンと発音する。

 カリエンの名がそのままで鍛冶屋なのである。

 彼等は今、

 タイでカリエンだが、

 ミャンマーでカレンと呼ばれて

 カレン、カレンニの2州を

 構成する勢力をもっている。

 女性を族長とする女系家族で、

 その住居は大きく『魏書倭人章』にある倭人の大家族、

 大家屋と多くの一致点をもち、入れ墨をし、

 女性は貫頭衣を着、健康維持に肌に土を塗る。

 『魏書倭人章』は朱丹と書くが、それを我が国では朱砂・スサと呼ぶ。

 スサの王の一族がタタラをもってきたことが、

 これらとその「鉄鏃」という2字で、

 徹底的に立証されている。

 こうお話しすると、

 私(加治木義博)の東南アジア歴訪調査が、

 どんなに効果的に倭人と『魏書倭人章』の実体を明確にしたか、

 その行動力の成果がよくご評価戴けると思う。

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
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