ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年7月21日土曜日
誰が?タタラを、いつ?、もって来たか?
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録30:30頁
《誰が?タタラを、いつ?、もって来たか?》
「誰が?タタラを、いつ?、もって来たか?」
では、<タタラ>を我が国まで持ってきたのは、
インド人か?ギリシャ人か?
それとももっと古くやって来た<シュメール人=カリエン>たちだったのであろうか?。
今も東南アジア各地ではカレン人(カリエン)が、鍛冶屋部族としてよく知られている。
それも女性の仕事である場合が多い。
彼等が我が国へタタラ文化をもってきた証拠は
我が国で<カジャと呼ぶその職業名>が、
はっきり立証する大文化財になっている。
<鍛冶屋>と呼ぶその名は、
<リ>を<ジ>と発音し<家(イエ)>を<ヤ>と発音する<南九州語>は、
今でも<カリエン>を<カジャン>と訛るし、
英語でもカルデアンはカージャンと発音する。
カリエンの名がそのままで鍛冶屋なのである。
彼等は今、
タイでカリエンだが、
ミャンマーでカレンと呼ばれて
カレン、カレンニの2州を
構成する勢力をもっている。
女性を族長とする女系家族で、
その住居は大きく『魏書倭人章』にある倭人の大家族、
大家屋と多くの一致点をもち、入れ墨をし、
女性は貫頭衣を着、健康維持に肌に土を塗る。
『魏書倭人章』は朱丹と書くが、それを我が国では朱砂・スサと呼ぶ。
スサの王の一族がタタラをもってきたことが、
これらとその「鉄鏃」という2字で、
徹底的に立証されている。
こうお話しすると、
私(加治木義博)の東南アジア歴訪調査が、
どんなに効果的に倭人と『魏書倭人章』の実体を明確にしたか、
その行動力の成果がよくご評価戴けると思う。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『言語復原史学会:画像』
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