ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年7月3日火曜日
出雲は出水より後世の国名、謎を解く伝承
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録30:12頁
《出雲は出水より後世の国名、謎を解く伝承》
「出雲は出水より後世の国名、謎を解く伝承」
これでようやく、
問題の「出雲の国」の手掛かりが得られた。
それが<ポセイドン>の名から<百済(ポセ)と出水(イヅン)>に分かれて、
種子島と薩摩の小地域名になり、
それ以後にイヅンという薩摩発音から、
その発音によりよく合った「出雲・イヅン」という当て字が生まれたことは、
すでに確認済みで、
種子島の小国・奴国が筑後に移動大国化し、
小さな首都・巴利国が邪馬壹国になった後、
兵庫県に移って播磨になり、
種子島人が但馬・丹波を造ったように。
南九州の小地名が本州の大地域=「国」に拡大しながら分布していった痕跡は、
今も大量に疑いようもない形で現存している。
<出雲も九州から本州へ拡大した後世の国名>だったことは決定的だが、
それがいつ?
どんな経緯?で、
そうなったのか?は、
ほとんどわからずにいたのである。
この謎を解く手掛かりを秘蔵しているのが
『名乗り』と『伝承』なのである。
ではその出雲に伝わった『スサノオ伝承』の正体はどんなものだったのか?。
次はそれを確かめてみよう。
だがどうすれば、それがわかるのか?。
それは「名乗り」でわかるというのが、
我が「言語復原史学理論」の中核である。
活用してみよう。
よそものスサノオは、
天という地域の統治者の一族に生まれたから出雲人から見れば
「他所者」である。
彼の出雲入り伝承を『記・紀』はどう書いているか?その名詞を見てみよう。
『参考』
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『言語復原史学会:画像』
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