ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年7月28日土曜日
シュメルは英語訛り、実在したのはスメル
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録31:8頁
《シュメルは英語訛り、実在したのはスメル》
「シュメルは英語訛り、実在したのはスメル」
<シュメール>と、これまで呼んできたのは、
実は正確な発音ではない。
それはアッカド語で、
正しくは次のように「Sumeru」と書き、
発音は原語でも、
ギリシャ、ラテン発音でも「スメル」なのだが、
研究の主力が英国人だったために、
我が国では英語訛りが使われて、
<シュメール>という発音が名詞として定着、
それを使わないと何のことか判らないという異常な状態が今も続いているため、
私(加治木義博)も仕方なく、
これまで<シュメール>としてお話ししてきたのである。
古代には<シュメール>などという名詞は存在しなかったのであって、
<スメル>、<スメラギ>(スメル吾君(あぎ))の方が実在していたことを、
しっかり確認しておいて戴きたい。
またそれは国名だとも思われているが、
チグリス・ユーフラテス両河下流域を中心とした漠然とした地域名で、
住民自身はそれを楔形文字で
<Ki(葦)En(主)Gi(地)>と書く。
2大河下流域は湖沼が散在する広大な葦原地帯である。
葦の主(王)の土地だというのだ。
この語順にも注意がいる。
日本語と全く同じであることを見落としてはいけない。
だから『記・紀』が、我が国の別名として挙げている
『豊葦原瑞穂(水穂)之国』とは、
この<KiEnGi>の直訳だと理解する必要がある。
このままでは「スメル」は単なる地域名に終ってしまうから、
放置せずに、もっと追及して見よう。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『言語復原史学会:画像』
『My ブログ』
古代メソポタミア
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ
古代史の画像
ネット歴史塾
古代史ブログ講座
ネット歴史塾
ひねもす徒然なるままに
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
『検索』
GoogleWeb検索
Google画像検索
YahooWeb検索
Yahoo画像検索
翻訳と辞書
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿