ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年7月10日火曜日
民俗学の粗雑さを立証した「スサノオ形代説」
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録30:19頁
《民俗学の粗雑さを立証した「スサノオ形代説」》
「民俗学の粗雑さを立証した「スサノオ形代説」」
スサノオの尊は「神話」だと言って『神話学』で全て説明しようとし、
いや信仰だから『宗教学』だといい、
いやそれは民間の風俗習慣から生まれた伝説の一種だから、
それらを総括して研究する『民俗学』でなければ正しく把握できないと言われてきた。
その結果でた結論が以上のようなものだったのである。
その結果、
民俗学ではスサノオはご先の通り民間信仰の厄払いに使う
「形代(かたしろ)」にまで墜ちてしまった。
私(加治木義博)は30年前から倭人のルーツ調査に、
台湾からミャンマーまで東南アジアの住民を訪ねてまわった。
その間に各地で我が国の形代と同じものに出会った。
それはバナナの葉や、他の広葉樹の広くて大きな葉や、
木の皮を人の形に切ったものだったりしたが、
我が国の形代は材料が紙だというだけで、
その形も目的も信仰も全く同じだった。
そればかりでなく同時に、藁や樹枝を束ねて丸い輪にした
「茅の輪(ちのわ)」があった所も多かった。
何のことはない。
民俗学が言う日本人は、
いま東南アジアの至るところに現存しているのである。
だが、そこには1か所も、スサノオの尊は愚か、
似た伝承を思わせる神も人物も伝わってはいなかった。
「形代(かたしろ)とスサノオの尊」は関係があるように見えたが、
やはり、
我が国だけの実在人物で、
形代信仰とは無関係だという明確な定義が確立したのである。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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