ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年7月16日月曜日
名詞には細心の注意を払うこと
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録30:25頁
《名詞には細心の注意を払うこと》
「名詞には細心の注意を払うこと」
『日本書紀』では天孫が降臨して、
木の花開耶(さくや)姫との間に生まれたのが
彦火火出見の尊=山幸彦で、
海岸で塩土の老翁がくれた「目(ま)無し籠(かたま)」に乗って海に出る。
この<籠の正体>は様々な説があり、
ベトナムなどの、
竹をカゴ編みにしてタールで籠目を塗り潰した小舟だろう、
という説が有力だ。
しかし本当はどんなものだったか、直ぐお判りになる。
「マナシカタマ」とは
「真名鹿(シカ)」の皮で作った球(たま)=真名鹿(シカ)球のことである、
<マナは真魚(まな)板の真魚=魚>のこと、
<魚の鹿とは斑紋のあるアザラシ>のことである。
真名鹿(シカ)球は<タタラ>であり<浮袋>であり、
<飲み水をいれる容器>でもあった、
それは中近東からアフリカで今も使う実用品である。
それが古代の我が国に実在して
片目=鍛冶屋を意味するカタマと呼ばれていた。
スサノオが皮を剥いだ斑駒(ぶちごま)(尾久鹿)を
日の神の織殿に投げ込んだというのも現実的なことだったと判る。
「ギルガメシュの竜退治」が<スサの王の事跡>とされても不思議はない。
下の図は
アッシリヤ帝国・アッシュール・ナジル・バール王のニムルード宮の壁画にある、
カタマを使って泳ぐ2人の人物のレリーフを写した写生である。
「図」カタマを使って泳ぐ2人の人物のレリーフ
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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