ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年7月25日水曜日
不完全説は功績ではなく「悪事」
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録31:5頁
《不完全説は功績ではなく「悪事」》
「不完全説は功績ではなく「悪事」」
この日本列島からか中国からか?という
ルートの問題は「方向」だけで明確に定義できる。
では何が証拠になるか?。
殷と稲敷のどちらかを決定する動かぬ証拠をご覧に入れよう。
それはワシントンにあるフリア美術館にある
殷の青銅器、「人面盉(か)」と、
兵庫県西宮市にある辰馬資料館蔵の縄文土器の
「人面注口器」である。
この2つは素材も出土地も異なっているのに、
その外観も、
構成部分の姿も、
模様や形や横能も、
全く同じといっていいものが多数あり、
同じ信仰をもつ同族が作って、
祭祀に用いた器具だったことが判っている。
それが全然別の研究でも明らかになる。
殷墟と稲敷郡との間に実在する測量遺跡「霊ライン」の存在でも
「殷人と稲敷人」が同じ種族の人々だったことが確認できている。
ではこの2か所に分かれた人々は、
どちらからどちらへ移動したのか?。
それを決定するのはどちらが古く、
どちらが新しいか?という点だけである。
同じ種族が縄文土器しかもっていなかった時代と、
高度の美術品に育った立派な青銅器をもつ時代とでは、
縄文土器の方が古いに決まっている。
それは年代測定によって、
さらに不動の証拠になっている。
これで縄文時代に稲敷にいた人が中国に渡って殷人の
『商帝国』を樹立したことが明瞭に立証されて疑う余地は残らない。
Ⅹ氏の努力は全くマイナスであり、
史実と学問を破壊する『悪事』でしかないのである。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『言語復原史学会:画像』
『My ブログ』
古代メソポタミア
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ
古代史の画像
ネット歴史塾
古代史ブログ講座
ネット歴史塾
ひねもす徒然なるままに
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
『検索』
GoogleWeb検索
Google画像検索
YahooWeb検索
Yahoo画像検索
翻訳と辞書
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿