ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年7月27日金曜日
来たのは円筒印章文化以前にシュメルを出た人たち
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録31:7頁
《来たのは円筒印章文化以前にシュメールを出た人たち》
「来たのは円筒印章文化以前にシュメールを出た人たち」
それを使用してその便利さを知った人々は、
それなしには仕事ができなくなる。
たとえどこへ移住しても、取引き、契約、記録はついてまわる。
生活必需品になった印章は放せないから、
移住先でもそれを使い続けて、
最後は副葬品の中に入っていることになる。
それなのに我が国では、
その遺物が全く見当たらない。
それも<円筒印章>が大きくて、
輸送が不可能な器具なら別だが、
簡単に携帯できるし、
仮に無くしたとしても特殊な材料や製作技術がなければ作れないものではない。
材料は石ころであり、その整形や彫刻も、素人細工でも充分作れる。
それが我が国に皆無だというこの事実は、
<円筒印章文化>をもったシュメル人は、
我が国には来ていないという動かぬ証拠なのである。
では何故?
これまで見てきたようなシュメル人との共通遺物が見つかるのだろうか?。
それは円筒印章が発明される前にシュメルを出た人々が、
我が国までやってきた場合にだけありうることである。
私たちの先祖がシュメルから来たことは、
数々の証拠で間違いない事実だと納得できているのだから、
シュメルの歴史知識はどうしても必要だし、
シュメルとは何か?という常識ももっていなければならない。
必要部分を手短かに見てみよう。
またそれがもっと明確な遺物・証拠を残していないかも再検討してみよう。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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