ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年7月14日土曜日
タタラはいつから我が国にあったか?
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録30:23頁
《タタラはいつから我が国にあったか?》
「タタラはいつから我が国にあったか?」
<出雲神話>と呼ばれて来たものは<天皇の事跡を伝えた歴史>であって、
<スサノオの尊>は在来の解説のような、
形代(かたしろ)でもなければ、田舎者の武勇談でも、
タタラ起源でもない。
次は速水保孝氏のタタラ説を検討してみよう。
タタラはいつから我が国にあった文化か?。
文献記録の一番古いものは、
『日本書紀』の「天の石窟(いわや)隠れ」の部分の、
「石凝姥(いしこりどめ)を冶工として、<真名鹿の皮>を全剥(まるはぎ)にして、
天の羽鞴(はぶき)を作り、<天の香山の金(かね)>を採って<日矛>を作り」の、
「羽鞴」だが、それが製鉄用のタタラだということはすぐ判る。
『古事記』の記事のほうは、
「天の安河の河上の天の竪石を取り、
天の金山(かなやま)の鉄を取り、
鍛人・天津麻羅を求め、
伊斯許(いしこ)理度売(りどめ)命に科して
……真男鹿の肩を内抜きに抜いて……」
とさらに詳しい。
竪石は普通の石より堅いのだから鉱石。
また「鉄=砂鉄」。
「鍛人=鍛冶職人」だし、
鹿の皮を傷付けずに内部を取り出して風船のように膨らませると
「浮き袋」が出来、
その空気を噴出して扇ぐと火力を強めるのに使える。
足で踏むと、より強い火力が得られるので、
木製のペダルをつけて両足で踏んで吸気、排気を繰り返す。
これを「タタラを踏む」という。
この『記・紀』の記事で天照大神以前に
タタラが我が国に実在したことが完全に立証されている。
ではそれは、どこから伝わった文化だったのか…?。
その答は「天孫降臨」のところにある。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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