2012年7月14日土曜日

タタラはいつから我が国にあったか?



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録30:23頁

 《タタラはいつから我が国にあったか?
 「タタラはいつから我が国にあったか?

 <出雲神話>と呼ばれて来たものは<天皇の事跡を伝えた歴史>であって、

 <スサノオの尊>は在来の解説のような、

 形代(かたしろ)でもなければ、田舎者の武勇談でも、

 タタラ起源でもない。

 次は速水保孝氏のタタラ説を検討してみよう。

 タタラはいつから我が国にあった文化か?。

 文献記録の一番古いものは、

 『日本書紀』の「天の石窟(いわや)隠れ」の部分の、

 「石凝姥(いしこりどめ)を冶工として、<真名鹿の皮>を全剥(まるはぎ)にして、

  天の羽鞴(はぶき)を作り、<天の香山の金(かね)>を採って<日矛>を作り」の、

 「羽鞴」だが、それが製鉄用のタタラだということはすぐ判る。

 『古事記』の記事のほうは、

 「天の安河の河上の天の竪石を取り、

  天の金山(かなやま)の鉄を取り、

  鍛人・天津麻羅を求め、

  伊斯許(いしこ)理度売(りどめ)命に科して

  ……真男鹿の肩を内抜きに抜いて……」

 とさらに詳しい。

 竪石は普通の石より堅いのだから鉱石。

 また「鉄=砂鉄」。

 「鍛人=鍛冶職人」だし、

 鹿の皮を傷付けずに内部を取り出して風船のように膨らませると

 「浮き袋」が出来、

 その空気を噴出して扇ぐと火力を強めるのに使える。

 足で踏むと、より強い火力が得られるので、

 木製のペダルをつけて両足で踏んで吸気、排気を繰り返す。

 これを「タタラを踏む」という。

 この『記・紀』の記事で天照大神以前に

 タタラが我が国に実在したことが完全に立証されている。

 ではそれは、どこから伝わった文化だったのか…?。

 その答は「天孫降臨」のところにある。

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
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