2012年7月18日水曜日

種子島→淡路島が大和政権を生んだ理由



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録30:27頁

 《種子島→淡路島が大和政権を生んだ理由

 「種子島→淡路島が大和政権を生んだ理由

 神武天皇の正妃・媛蹈鞴五十鈴媛は垂仁天皇の皇后でなければならない。

 垂仁天皇の始めの皇后は、

 あの<悲劇の狭穂姫>で、<誉津別皇子>を残して死んだから、

 その後で皇妃になった丹波の道主の5人の娘の一人である。

 すでによくご承知の通り、狭穂姫の<狭>は<アイヌ語のタンネ>で<種子島>である。

 <穂>は豊玉の<豊>で、やはり<種子島の古名の1つ>だし、

 丹波の道主のタニバは<種子国=タネマの沖縄発音・タニバ>である。

 種子島は戦後、

 アメリカへ宇宙機用のチタン原料として、

 大量の砂鉄を輸出し続けたように、

 世界でも最高級の品質をもつ砂鉄の希に見るこ大産地であり、

 古代種子島の坂井人が大阪府の堺を造って、

 戦国時代に種子島銃の独占産地になった史実が物語るように、

 古代から近世に至る我が国鉄器産業の最大の中心地を形成して行ったのである。

 種子島がタタラ技術の先進地であり、

 タタラが国富と文明を象徴するトップ産業だったことを見逃してはならない。

 するとそれを名にもつ「タタラ姫」は、

 夜も輝くような美と富の姫という

 赫夜姫の名が同じ島で生まれたのと同じで、

 必然的であるし、

 またその富と武力が、

 天皇家とその一族の「橘=種子島人(タチバナ)」政権を東征させ、

 倭人圏を本州・四国に拡大させたのであり、

 「古代淡路島(タンジシマ)=種子島(タンジシマ)」を拠点に

 一気に奈良に大和朝廷を

 定着させたのであることが、

 はっきり組織立って、立体的に理解できるのである。

 『参考』
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