ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年7月18日水曜日
種子島→淡路島が大和政権を生んだ理由
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録30:27頁
《種子島→淡路島が大和政権を生んだ理由》
「種子島→淡路島が大和政権を生んだ理由」
神武天皇の正妃・媛蹈鞴五十鈴媛は垂仁天皇の皇后でなければならない。
垂仁天皇の始めの皇后は、
あの<悲劇の狭穂姫>で、<誉津別皇子>を残して死んだから、
その後で皇妃になった丹波の道主の5人の娘の一人である。
すでによくご承知の通り、狭穂姫の<狭>は<アイヌ語のタンネ>で<種子島>である。
<穂>は豊玉の<豊>で、やはり<種子島の古名の1つ>だし、
丹波の道主のタニバは<種子国=タネマの沖縄発音・タニバ>である。
種子島は戦後、
アメリカへ宇宙機用のチタン原料として、
大量の砂鉄を輸出し続けたように、
世界でも最高級の品質をもつ砂鉄の希に見るこ大産地であり、
古代種子島の坂井人が大阪府の堺を造って、
戦国時代に種子島銃の独占産地になった史実が物語るように、
古代から近世に至る我が国鉄器産業の最大の中心地を形成して行ったのである。
種子島がタタラ技術の先進地であり、
タタラが国富と文明を象徴するトップ産業だったことを見逃してはならない。
するとそれを名にもつ「タタラ姫」は、
夜も輝くような美と富の姫という
赫夜姫の名が同じ島で生まれたのと同じで、
必然的であるし、
またその富と武力が、
天皇家とその一族の「橘=種子島人(タチバナ)」政権を東征させ、
倭人圏を本州・四国に拡大させたのであり、
「古代淡路島(タンジシマ)=種子島(タンジシマ)」を拠点に
一気に奈良に大和朝廷を
定着させたのであることが、
はっきり組織立って、立体的に理解できるのである。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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