ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年7月24日火曜日
「思いつき素材」を並べても学問にはならない
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録31:4頁
《「思いつき素材」を並べても学問にはならない》
「「思いつき素材」を並べても学問にはならない」
「学問」とは、
その「モノ」から、不変の法則を見出だすことであり、
そのシステムと、答とを、
全ての人が利用できるように方法を確立することでもある。
モノは素材に過ぎず、森や海にある食べられるものに当る。
それを集めて店頭に並べると「食品」。
それを効果別に分類したり、利用法を考えると「栄養学」。
それを食べた結果おこる病気を処理するのが「医学」。
それに使用する薬品を研究するのが「薬学」だから、
ざっと考えても学問とは、
「栄養学」以後で、
素材や食品の段階のものは、
どんなに量が多くても、学問ではない。
いま進めているルーツの問題を例にとると、
それは
「どちらからどちらへ移動したか?という方向」が
結論を決める。
判り易い例を挙げると、
私たちは殷は稲敷にいた人々が中国へ渡って興した国だと理解している。
ところが、
Ⅹ氏は全く逆に、
殷人が我が国に攻め込んで征服支配したのだという。
その証拠は皇室が殷と同じ亀卜(きぼく)を行なうのが、
動かぬ決定的証拠だというのである。
けれどもこの説が正しいのなら、
我が国の国名は「殷か商」で無ければならないが、
氏が証拠として挙げた天皇家の統治した
国名は「倭」と「日本」以外にない。
これは<亀卜(きぼく)>は、
氏の主張を立証する証拠にはならないということと、
侵入または移動の方向が逆だという証拠でもある。
重要な「霊ライン」も知らない思いっき説でしかない。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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