ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年7月6日金曜日
神社の存在だけでは居住証明にはならない
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録30:15頁
《神社の存在だけでは居住証明にはならない》
「神社の存在だけでは居住証明にはならない」
これを「<稲田神社>も<須佐神社>も揃っているではないか」と主張するのなら、
全国には3万もの<八幡社>がある。
その全てに<応神天皇>がいたことになるから、
その主張が間違っていることは直ぐわかる。
八幡社が立証する通り、
神社は祭神の霊を祭るもの、
各家庭にある神棚や仏壇と同じものである。
それは死者を埋葬した墓地ではないから居住を証明する能力はない。
しかしそれは祭神の子孫や同族が住んだという事実は証明する。
こうみてくると地名が分布するのと同じく神社も移住先に分布する。
だが寺はそんな分布とは無関係である。
仏教徒の卑弥呼が、
死んだ南九州から遥かに離れた伊勢の、
皇大神宮に祭られているのはそのためである。
それを<天照大神は卑弥呼>だから、
彼女は伊勢にいてそこで死んだと主張するとすれば、
それは新しい「邪馬台国伊勢説」と呼ばなければならないが、
さすがにそんな愚説はまだ、一つも出ていない。
スサノオはまた八幡社ほどではないが、
同様に全国的に祭られている。
出雲佐田町の須佐神社はその内の一つでしかない。
在来の学者が犯した過ちは、
スサノオの出雲は島根県以外にないという固定観念で固まって、
『記・紀』をお粗末な名所案内に使い、
ウソの説明しかできなかったことである。
それは<奈良橿原>での<神武天皇即位>から
大日本帝国が始まったとする『日本書紀』を盲信した、
8世紀の愚民の頭と同程度でしかない。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『言語復原史学会:画像』
『My ブログ』
古代メソポタミア
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ
古代史の画像
ネット歴史塾
古代史ブログ講座
ネット歴史塾
ひねもす徒然なるままに
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
『検索』
GoogleWeb検索
Google画像検索
YahooWeb検索
Yahoo画像検索
翻訳と辞書
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿