2012年7月6日金曜日

神社の存在だけでは居住証明にはならない



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録30:15頁

 《神社の存在だけでは居住証明にはならない
 「神社の存在だけでは居住証明にはならない

 これを「<稲田神社>も<須佐神社>も揃っているではないか」と主張するのなら、

 全国には3万もの<八幡社>がある。

 その全てに<応神天皇>がいたことになるから、

 その主張が間違っていることは直ぐわかる。

 八幡社が立証する通り、

 神社は祭神の霊を祭るもの、

 各家庭にある神棚や仏壇と同じものである。

 それは死者を埋葬した墓地ではないから居住を証明する能力はない。

 しかしそれは祭神の子孫や同族が住んだという事実は証明する。

 こうみてくると地名が分布するのと同じく神社も移住先に分布する。

 だが寺はそんな分布とは無関係である。

 仏教徒の卑弥呼が、

 死んだ南九州から遥かに離れた伊勢の、

 皇大神宮に祭られているのはそのためである。

 それを<天照大神は卑弥呼>だから、

 彼女は伊勢にいてそこで死んだと主張するとすれば、

 それは新しい「邪馬台国伊勢説」と呼ばなければならないが、

 さすがにそんな愚説はまだ、一つも出ていない。

 スサノオはまた八幡社ほどではないが、

 同様に全国的に祭られている。

 出雲佐田町の須佐神社はその内の一つでしかない。

 在来の学者が犯した過ちは、

 スサノオの出雲は島根県以外にないという固定観念で固まって、

 『記・紀』をお粗末な名所案内に使い、

 ウソの説明しかできなかったことである。

 それは<奈良橿原>での<神武天皇即位>から

 大日本帝国が始まったとする『日本書紀』を盲信した、

 8世紀の愚民の頭と同程度でしかない。

 『参考』
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