ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年7月22日日曜日
過去の邪馬台論争を超える、たった一枚のスケッチ
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録30:31~32頁
《過去の邪馬台論争を超える、たった一枚のスケッチ》
「過去の邪馬台論争を超える、たった一枚のスケッチ」
図は鎌倉時代末期、元寇の約半世紀前の寛元元年(1243年)、
肥前から中国へ渡ろうとした商人たちが、
漂流して沖縄へ漂着したときに写生した、
当時の沖縄漁民の風俗スケッチで、
その体験を記録した貴重な
『漂到琉球国記』の巻末につけられた絵図の一部である。
この女指揮者は間違いなく「三叉鉾」をもっている。
それには房飾りが垂れているので、
魚を突くための漁具ではなく、
神の助力を祈るための象徴=聖器だとわかる。
するとそれが<三叉鉾>であることは、キリストの十字架と同じく、
その<三叉鉾>だけで、その神が<ギリシャの海神・ポセイドン>だと判る。
それだけではない。
女性が指揮者であることは、
当時沖縄にいたことの確かなカリエン人の習俗で、
その風貌も西方のもの、この絵が表わしている人種は、
カリエン人とギリシャ人との混血なのである。
さらによく見ると、
「貫頭衣」を着て、
断髪した頭に布を巻き『魏書倭人章』にある
「招頭」とはどんなものだったかを眼のあたりに見せてくれる。
その弓は上が長く下が短い倭人の弓である。
たった1枚のスケッチだが、
それが元禄の荒井白石から、
明治大正の大論争を繰り返した大歴史家たち、
そして戦後に、雨後の筍のように現われた大量の邪馬台学者の、
その誰もが、全く立証できなかった真実の<倭人の風俗と文化>を、
この絵は物の美事に完全に描写して、証明し厚くしているのである。
「図」『漂到琉球国記』巻末絵図の一部
《漂到琉球国記》
「漂到琉球国記」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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