2011年1月31日月曜日

重要な、皇居名と所在地名の比較確認

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録15:22頁

雄略天皇は、

御所(ごせ)市の葛城山で、

天皇のような供揃えの神に会う。

一言主の大神だという説明になっているが、

現実問題として考えれば、

5世紀に神が姿を現わすはずがない。

これは前政権時代の有力者との遭遇が描かれているとみていい。

『記』は長谷朝倉宮で天下を治むと書き、

『紀』は泊瀬朝倉壇で即位したと書いてある。

ところが『古事記』は幾つもの歌謡を挙げているが、

その中の三重の采女(うねめ)の奉った歌には、

纏向(まきむく)日代宮とある。

皇居を移したのであれば、

そのことが書いてあるはずなのにそれがない。

この答は意外なところにある。

それはこの纏向日代宮は

景行天皇の皇居の名であり、

垂仁天皇が、

あの狭穂姫と暮らした宮も、

同じ纏向の珠城宮だったことがヒントになる。

私たちは垂仁天皇=位宮が

狭穂姫と共にいたのは、

種子島だったことをよく知っている。

それは山幸が海を渡って行った島で

豊玉姫の島、

浦島太郎の竜宮で、

オオヒルメが八幡を連れて隼人町まで、

海を渡ってきた出発点の島でもある。

景行天皇も卑弥呼政権の崩壊後、

大移動でカラになったそこへ移ったから同じ地名なのだ。

この纏向がもとは種子島だったことは動かない。

これも香椎が奈良県に移って橿原になったように、

地名の移住があった証拠である。

だから「纏」はテン⇒チヌで、

向は日向のガ、

チヌガ=角我=ポントスの都だ。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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歴史学講座『創世』
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